記憶は不確か

 昔は、蛍(ホタル)を捕まえて家に持ち帰っても、誰も罪悪感に駆ら
れなかったのではないか。
 どこにでもいたし。
「蛍狩り」という言葉もあるぐらいだし。
 父が器用に作った大きな網の飼育箱の外から、夜、霧吹きで水を拭き
かけると、電気を消した部屋で、ポオッ、ポオッと蛍が光る。
 もわっと湿気た水の匂いは、蛍が飛び交う日の雨気(あまけ)の濃密
なる匂い。
 金魚は、父が地面にコンクリートで作った小さい池で飼った。
 熱帯魚は、私はグッピーのきらめく青が一番好きだったなあ。
 メダカは、近くの池で捕ったすべてをバケツに入れて帰ろうとしたら、
たぶん小学校低学年だった私のからだには重すぎたのだろう。それに、
バケツの中のメダカ達は、あまりの人口密度にアップアップ。
 父に諭され、大半を池に返した。
 真夏には、リボンがひらひら風に揺れる麦わら帽子をかぶって、キリ
ギリス捕り。
 スーッチョ、スィーッチョ。
 思わず眠りに引き込まれそうな間延びしたなき声は、どこ。
 先っぽにキュウリを付けた長い竿を私が持ち、キリギリスが食いつく
と、父がサッと虫取り網で捕獲する。
 あるいは、父と私の持ち場は反対であったか。
 雀は、地面に落ちていた飛べない雛を父が拾って帰り、寝床を作り、
糠(ぬか)を溶いたのを食べさせたけど、奥へ奥へと身を隠す習性が夜
のあいだに出たらしく、翌朝見たら、奥にひそみすぎて、死んでいた。
 ハツカネズミは、父が買ってきた夜、カゴに黒い布をかけたあとも眺
めていたら、布がモコモコ動き出し、
「あっ」
 手のひらをゆるくすぼめて上から捕まえ、予期せぬ脱走をなんとか防
いだのは、私。
 ヒヨコは、これも突然、家に来た。
 が、数日で姿を消した。
 無事に成長して、めんどりであれ、おんどりであれ、どちらになられ
ても面倒だと、母が返しに行った。
 私はそう思い込んでいる。
 けど、真相はどうだったのか。
 だって、ハツカネズミも金魚も熱帯魚もカブトムシも鈴虫もヒヨコも
カナリアも、思い出せるのは打ち上げ花火のように幾つかの情景のみ。
 だもんで、母が、生き物を買ってくるのはいつも父親で、そのあとの
世話はいつも自分がさせられていたと言い、
セキセイインコ文鳥も飼っていた」
 と言い出すと、びっくり。
 確かに、窓からセキセイインコが逃げ出した光景は記憶に鮮明で、う
ちは飼い鳥はカナリアだけだったはずなのに、なんでかなあ、と不思議
に感じていたのだ。
 記憶はまだらで、抜けもいっぱい。
 ならば私は、過去より未来を見て、生きる。