邪悪な嘘

 人は、会話する動物。
 そんな私達は、相手の言葉を、まずは真実を語っていると思って聞く
のではないか。
 前出のベンツおじさんの話を、私はやっぱり素直に聞いた。
 枯れ草が自然発火した程度なら、すぐに火を消せるのに、わあわあ、
山火事にまで大きくしたいような口ぶりなのは解せなかったけど。
 ある日、彼の娘のエピソードが出た。
 ええっ、それ、本当かなあ・・・。
 初めて、私は彼の言葉に疑念を持った。
 彼の娘は私の友達で、私は彼女のことをよく知っている。
 私は彼女に確かめた。
「おとうさんは、こう言ってはったけど」
 と聞くのではなく、友が友の視点から話したくなるよう持っていった
のはもちろんである。私のせいで親子間にいらぬ波風は立ってほしくな
いもの。
 二人の意見は真っ向から対立した。
 私は、友の言葉の方が信じられる。
 そういうことが何度かあり、そのすべてにおいて、ベンツおじさんの
言い分より友の記憶に信憑性があった。
 ベンツおじさんの語る内容は、友に不当なものだった。
 理不尽に不当。
 いつもは娘のことを自慢する普通の親馬鹿だし、親が子をおとしめる
はずはないと思って、私は混乱する。
 しかし、自分の悪や不完全さを認めるぐらいなら、家族を悪者にして
も平気。それが邪悪な人の邪悪な嘘だと『平気でうそをつく人たち』で
学び、ああ、なるほど、と納得した。
 そして、ベンツおじさんの言葉に注意深くなると、
「こういうことがあった」
 と語る時、彼は必ずその原因にも言及したが、彼が見聞きした事実で
はなく、彼の勝手な妄想を語っているのだった。
 人の脳は、原因がわからない時、あるいは知りたくない時、適当な理
屈を探す。
 水を飲むだけでも太る、とか。
 うちの母も、
「今日はヘアサロンが空いていた」
 と言ったあと、
「天気がいいから、みんな出かけてはんねんワ」
 と言うので、何を根拠に、と問い詰めるが、母は、懲りずに、またそ
の手の断定を繰り返す。
 ベンツおじさんと同類じゃん。
 ショックだったが、ベンツおじさんの理由付けには、彼独特の偏った
世界観が反映されていて、母のたわいなさとはレベルが違う。
 彼は、彼の大好きな「お金が一番」という唯一の思想をもとに、話を
作るのだが、目の前の現実を正しく見ていない。
 見えないから妄想できるのかも。
 たとえば、彼の娘は、箸の持ち方が変なまま大人になって困っている
が、
「食事中に、そんなことまで気づけなかった」
 と居直るぐらい、何も見ていない人なのだ。