見えない親たち

 英語の個人レッスンのあと、夕食をご馳走になる。
 三人姉妹のうち、正しく箸が持てるのは末娘だけ。
 なぜか。
 親が教えなかったからだ。
 末っ子は、本能的に正解に辿り着けた。
「ああ、そういう子は優等生なんだ」
 親にとっての優等生。
 じゃあ、そうなれない子達はどうしたらいい。
 当時、次女は二学年下の末っ子と共に私のレッスンを受けていたので、
お節介かなあと思ったけど、お米のお菓子などを持っていき、レッスン
の前に二人に箸で食べさせた。
 働くシングルマザーの母親が帰宅して夕食が始まると、今でも、次女
はまずは自己流に箸を持つが、隣に座った彼女の太ももを私がちゃぶ台
の下でつつくと、持ち直す。
 しかし、長女には教えられなかった。当時、もう中学生になっていた
からだ。
 箸や鉛筆の持ち方は、本人が、いつそれを教わったか思い出せないぐ
らい小さい時に学ばないと、大きくなって自分の持ち方が変だとわかっ
ても、
「この方が持ちやすい」
 とか、
「この方がラク
 と、まことしやかな理屈を展開。
 俳優の誰かが、
「僕の個性」
 と居直っていたが、食べるシーンの撮影の時だけは正しく持つ。それ
でこそプロではないか。
 なぜって、箸や鉛筆は道具。
 道具は合理的に持って初めて、理にかなった働きをする。
 箸を正しく使えない人と食事をすると、その手元に目がいって楽しく
ないが、ちゃんと豆をつかめなかったり魚の骨を取れなくて、一生、質
の低い食生活に甘んじさせられる本人自身が一番損なのだ。
 課長の自宅に課員全員で招かれた時、開き戸の大容量食器洗い機に驚
かされたが、娘が習っているバレーのレッスンに法外な月謝をとられて
いるというその娘が箸を一本の杖のように握って食べるのは、見ていて
哀れだった。
 お金では買えない、親の気配り。
 そこに気づいてほしくて、有名私立幼稚園や小学校の入学試験で、箸
の持ち方が試験されたりするのだろう。
 ところで、『体脂肪計タニタの社員食堂』の料理本を、続編も同時に
買って二冊持っているが、写真を見るたび、落ち着かない。
 左手前にご飯。
 右手前に汁物。
 奥におかず。
 そういう基本が無視されている写真が多々。
 変だと思う私が変なのか・・・と困惑していたら、そうじゃないよと
安堵させられた。
 朝日新聞の『学校給食たべ歩記』によると、家庭での伝承と学校給食
の乱れが、箸の使い方だけでなく、食器の置き方にも影響して、ニホン
中、今や、食卓の光景はなんでもありの狂乱状況らしい。