ばっかり食べ

 右利きの人は左手でご飯を持つので、ご飯は左手前。
 そうなっていないと、食べる時にご飯をその位置に持ってこようとし
て、まずはすでにそこに置かれている皿を移動させねばならず、ドミノ
倒しの面倒臭さが生じる。
 正しい配膳は、食べる人への愛情。
 私は「食膳方式」で育った。
 温泉旅館の大宴会場で催されるうたげの席で、一人一人の前に膳が用
意されるが、その膳をランチョンマットに代えた家庭版だ。
 そんな私は、身に染み込んだ「左手前にご飯」というまなざしでコン
ビニ弁当も見るため、ご飯とおかずの大雑把な位置関係が違うと、落ち
着かなくなる。
 なんで、わざわざ基本を崩すかなあ。
 それは「自由」とは違うはず。
 不思議だったが、学校給食にパン食が導入された際、ご飯を左手に持
っておかずを食べるという従来の和食の食べ方が反古にされ、食器の位
置はどうでもいいから、パンばっかり食べ、次はおかずばっかり食べ、
最後に牛乳を飲み干す、みたいに食べよ、と教育され、当時子供だった
人達が教師になって正しい食器の置き方がわからなくなっている、と聞
くと、ああ、コンビニ弁当のトレーを開発する人達も、同じ理由で、つ
まり、基本を知らないから好きにしているだけなんだ、と腑に落ちる。 
 そして、そういうのを見て育つ子達は、ますますハチャメチャになっ
てゆく・・・。
 この「ばっかり食べ」は、好きな物だけ食べて、嫌いな物は食べない、
という偏食にも結びついているそうな。
 私はフランスの食卓を思い出した。
 家庭でも、フランス料理のフルコースのように、ひと皿ごとに出され
る。
 一見、「ばっかり食べ」。
 だが、子供が、嫌いな料理を少ししか自分の皿に取らないと、
「もう少し取りなさい」
 とお母さんが命じる。
 子供が食べるべき量がちゃんと頭の中にあって、好き嫌いを認めない
のだ。
 似て非なる「ばっかり食べ」。
 そう言えば、日本語を勉強するため来日したフランス人を交えて食べ
に行った時、彼女の食べたい物も聞いて何皿か注文し、
「さあ、食べよう」
 とみんなが好きに料理に手を伸ばして小皿に取り始めたのを見て、彼
女はびっくり。
 自分が注文した物を自分が食べると思い込んでいたらしい。
 割り勘で支払うのが嫌で、自分の国の食べ方を拒否するのかィ、と私
は心の中で笑ったが、いろいろな料理の大皿を一度に食卓に並べるカタ
チはフランスにはない。
 それを、フランス式、西洋式だと勘違いしかけた私。
「本質」を見ていなかった。