パリの病院にて

 今日は、パリで入院した時の話。
 七月のある朝、急に足裏の感覚が鋭敏になり、丸い凸型突起で埋め尽
くされた健康スリッパが痛くて履けなくなったら、次に、からだ全体に
ぱあっと大理石状の赤い斑点が広がった。
 全身総入れ墨のような症状にはたじろがされるが、痛くも痒くもない。
 それに、顔は綺麗なまま。
 しかし、尋常でないのは確かなので、早急な予約を取り付け、かかり
つけの一般医に行くと、担当の女医が医学書を出してきて、
「これですね」
 開けられたページには、まさしく私の症状と瓜二つの写真。
 じゃあ、稀な病気というわけではないのね。治療法はあるのね。 
 皮膚科を紹介され、その女医が外来診察を受け持っている大病院に入
院することになった。
 二人用の相部屋の窓側のベッドには、どこかの国からの移民とおぼし
き女性。
 彼女がテレビをヘッドホンなしで観るものだから、そのうるさい音が
心身ともに衰弱した私をさらに疲弊させるも、やがてテレビ料金が切れ
ると、静寂が戻ってきて、ひと安心。
 毎日、全身に薬を塗られる。
 看護婦は手袋。今思えば、ステロイド系の塗布薬だったのかも。
 飲み薬は数種類。その中の白い錠剤を、私は、二、三日後にわざと飲
み忘れた。
 たぶん、最初に看護婦が薬の目的を説明してくれた時に、その薬の必
然性を疑ったのではないか。
 そこへ、隣の移民おばさんが、
「うちの主人がその薬を飲み続けるのはからだに良くないと言っていた」
 とふいに話しかけてきたものだから、サッとそっちになびいた。
「なんで飲まなかったの」
 看護婦から聞かれても、
「これからは忘れず飲みます」
 としか答えられない。
「途切れたら効果はないから、この薬はなしにしましょう」
 と言われると、な〜んだ、その程度の薬だったの、と思う。
 ところが、一週間後の退院の日に、膝から下に発疹が出た。
 新たなる病気。
 私の足を囲んで数人の医者が議論し始めると、さすがに心が挫けそう
になったが、まさか、私が勝手に薬を止めたせいじゃないよね。
 その病気も一週間ほどで完治したので、一生悔いる事態は回避できた。
 それにしても、私が薬の服用に不審を抱いていた時に、私の望む言葉
を囁いた移民おばさんは、まるで悪魔のようなタイミングだったなあ。
 私は天に試されたのかなあ。
 ならば、私はまんまと不条理な人間性を暴露した。
 自分の聞きたい言葉を言ってくれる人を信じたのだから。 
 普段は合理的で筋の通った考え方を行動規範としている、この私が。