勇気(フランス旅行記)

「昼食が終わるのが二時過ぎだなんて遅すぎる」
 昼食後に近場の観光地に向かう車の中でマダムDが癇癪を起こした時、
私はそれほど彼女に共感できなかったが、さらに先にある海辺の観光地
に着いた時には、ちょっぴり彼女と同じ気持ちになった。
 その町に昔の知り合いが住んでいて、住所はなくしてしまったが、泊
めてもらった記憶を頼りに家に辿り着こうと目論んでいたのだ。
 が、二月の日暮れは早く、町に着いたら、最後の残照がまさに消えな
んとするタイミング。
「ああ、もっと早く出発できていれば」
 ぼやくマダムD。
 本当にねえ。
 相槌打ちそうになるが、私はすぐに気を取り直した。
 道を引き返す時に通過する町に別の知り合いが住んでいて、その家の
住所は持っていたのだ。
 車のGPSに住所を入力したら、パリからの到着日には、途中、意味
不明の道を示して私達を一時間以上翻弄したGPSが、この時は最短距
離で知人宅まで誘導してくれ、私は、エンジンを切った車の中でケータ
イを手に取り、そして、ボタンを押す手を途中で止めて、外に出た。
 外国人の私には、電話より玄関越しの方が不意の来訪の弁明がしやす
い気がする。
 インターフォンに出たのはダンナさんだったが、一度泊めてくれた私
のことを思い出してくれたようで、すぐに扉が開かれ、リビングに招き
入れられた。
 喜びがからだ中を駆け巡る。
 ダンナさんは、退職するまで船の部品輸入の仕事をしていて、モロッ
コに長期滞在したこともあり、近々、夫婦で、そこの友人を訪ねて二週
間の旅に出るそうな。
 と、マダムDがぐいっと身を乗り出した。
「私は、パリに帰ったら、キャンピングカーで二ヶ月間のモロッコ旅行
に出るんです」
 前世はモロッコ人だったと公言するぐらいモロッコ贔屓のマダムD。
でも、″二週間″と言った相手に″私は二ヶ月間″とわざわざ主張する
必要はあるのかなあ・・・。
 鼻白む私をよそに、マダムDの饒舌が始まる。
 押し黙る知人夫妻と私。
 マダムDの話にはさらさら興味がなかったから。
 それより、急いで昔を懐かしんだり、現状を伝え合ったりしなければ、
すぐにいとまごいする時間になる。
 話の中心になるべきは、知人夫妻と私。
 そうなっていないなら、私が会話の交通整理をしなくては。
 マダムDの言葉が途切れるのを待っていると、いつまで経っても″そ
の時″は来ない。
 どうする。
 誰も私の代わりはしてくれない。
 どうする、私。
 ・・・。
 追い詰められて、ようやく私は飛んだ。