塾ありきの学校教育

 久しく会っていない友が、
「中学の長女に勉強を教えてほしい〜」
 と年賀状に書いてきたので、冗談まじりだろうと思いつつ、連絡を取
って再会したら、案の定、二つも塾に通わせているそうな。
 以前、別の友達と話をした時も、同じようなことを言っていたなあ。
 両者とも、子供達は週に五日の塾通い。帰宅は夜の九時とか十時。そ
の送り迎えは母親の仕事。
 個人的に英語を教えている私が言うのもなんだけど、教え終わって帰
宅の途中、塾の巡回バスや、塾講師に先導されて帰る子供達とすれ違う
たび、
「なんかなあ」
 と思う。
“早寝早起き朝ご飯”って絵空事なの。
 勉強ってさあ。
 教わった知識で百点が取れることも大切ではあるけれど、正解のない
問題というのもあって、人生ではそういうことにも取り組んでいける能
力が必要なんだけどなあ。
 その能力は、目先の忙しさに追われている生活の中でははぐくまれな
い。
 閑を持てあますほどの退屈があって初めて、それに時間を向けられる。
 なんで、そんな大切な時間を子供達から奪うかなあ。
 しかし、大阪の橋下市長が貧困家庭の塾代などの補助制度を検討する
と聞くに及んで、私は理解した。
 そうか。今は、塾や家庭教師が不可欠の時代なんだ。
 ・・・・。
 やっぱり納得できない。
 大半の子が学校の授業だけでは間に合わない学校教育って、なんなの
さ。
 そんな学校なら、なくてもいいんじゃないの、と思いたくなる。
 なぜに学校教育はこれほどまでに機能不全なのか。
 それも仕方ないかも。
 だって、理解の早い子も遅い子も一緒くたに教えるのであれば、その
教え方がぴったり合う子より、簡単すぎてつまらないと思うか、難しす
ぎてついて行けない子達の方が圧倒的に多くなっても当然だもの。
 学校教育は勉強だけが目的ではない。とは言え、勉強が第一目的のは
ず。
 ならば、もう、エセ平等精神を持ち込むのは止めにして、授業は、学
科別に成績で子供を集めて教える。一学期ごとに、成績によって、次の
学期に受ける授業のクラスを見直す。
 でも、子供達が所属するクラスは、音楽や体育や昼食時間や遠足など
で一緒に行動する仲間のベース基地とする。成績の善し悪しだけが人の
価値じゃないよとしっかり教える。
 こうすれば、塾あっての学校教育という情けない現実から、あるべき
姿に立ち戻れるのではないか。
 そのために必要なら、授業時間を延ばせばいい。
 塾に通わなくて済むのだから、誰も文句はないだろう。
 つらつら、そんなことを考えた。