旅のトリックスター(フランス旅行記)

 前々回の『支配と依存』というタイトルは、一人の人間の中に存在す
るコインの表と裏の行為を表現したつもり。
 支配する人と依存する人がペアになっている、という意味ではない。
 誰かを「支配」することで、その誰かに「依存」する。
 あるいは、その逆。
 旅行中の、私に対するマダムDがそうだった。
 だが、そう気づけたのは帰国後で、旅行中は、ただただ彼女にうんざ
りしていた。
 最大の解決策は、彼女を私の友人知人に引き合わさないこと。
 けれども、私が難色を示すのに、ムッシューLは彼女をモンサンミシ
ェルのドライブに誘いたがる。
 だったらいいわ。
「長くは歩けるけど、早くは歩けない」
 とか、
「少しは私の年齢も尊重してもらわなくっちゃ」
 と言い出すであろう彼女のせいでムッシューLの予定が狂う一日に終
わっても、私の知ったこっちゃない。
 しかし、マダムDは誘いを断った。
 ならば、彼女にチャンスは二度ない。
 ムッシューLは、モンサンミシェルからの帰りに長男と末娘が住んで
いる町に立ち寄り、彼らを連れて帰る予定にした。車は五人乗り。マダ
ムDの席はない。
 ところが、当日の朝、彼女から、
「早く起きられたから一緒に行きます。迎えに来て。七時四十五分まで
家の外で待ってます」
 のメール。
 ひとりぼっちの一日より、長距離ドライブで疲れる方がまし、と考え
直したのかな。
 ずっと「支配」を選んでいた彼女の、初めての「依存」転換である。
 なんであれ、私は彼女に振り回されたくなくて、即、ケータイの電源
を落とした。
 本当は、あなたが行かないと言ったから、車の定員が埋まる計画に変
わったの、と返信してもよかったが、その方が彼女が傷つくと見た。
 いや、そう聞いたら、
「じゃあ、私は私の車でうしろから付いていくわ」
 と言い出しかねない彼女を、私は怖れたのだ。
 翌朝。
 朝食中にムッシューL宅に電話がかかってきた。マダムDだ。
 受話器を受け取った私に、彼女が言う。
「朝七時四十五分まで待っても来ないので、携帯電話に電話したけど、
電源が入っていないから、車でそっちまで行ったのよ。そうしたら、も
う出発したあとだった」
 ゾゾーッ。
 にもかかわらず、この時の電話はありがたかった。
 続いて彼女が、私達と合流し損ねたあと、マダムBに電話したら、病
気の妹が亡くなったと言われて早々に電話を切った、と語ったのだ。
 おかげで、私は、帰国前にマダムBを見舞うことができた。
 悔いの残らぬ旅になったのだ。