二人目の死(フランス旅行記)

 マダムBの妹は、生まれた時から障害を持っていた。
 病名を知った時、その病気でそこまで長生きできるのかとびっくりし
たのは、私が正しい知識を持っていなかったせいだろう。
 幼い頃は一緒に遊べたそうで、そういう思い出がマダムBの心の中で
キラキラ輝いている。しかし、近年は手足が硬直し、ベッドに寝たきり
の状態に。
 看護師が週に三日家に来てくれるが、それ以外の時間は、家族の誰か
が面倒を見なくてはならない。
 担当したのは、おとうさんだった。八十歳を過ぎても屈強で、ベッド
から車椅子に移動させたりするような大仕事をやすやすこなして、妹の
看護の中心人物。
 マダムBの家から五分の実家はそんな感じで安定していたが、私のフ
ランス到着が二週間後という時になって、妹の外科手術が決まった。三、
四時間かかる大手術になる予定で、マダムBもおとうさん、おかあさん
も気持ちが落ち着かない。
 手術後の二日間、妹は生死をさまようも、自発呼吸できるまでに回復。
 ということで、私がマダムB宅に到着した時、妹はまだ入院中だった。
 ただ、手術も無事に終わったことだし、早く退院させてほしいと病院
から迫られて、
「どうしよう」
 マダムBは悩んでいた。
 看護師が週に三日家に来てくれるとは手厚い医療体制だなあと感心さ
せられたものだったが、日本と同じような側面もあるってことなんだな
あ。
 でも、マダムBは妹を家に連れて帰れない。
 妹が手術する二日前に、おとうさんが心臓発作で急死したから。
 老齢のおかあさんでは世話はできない。
 次の受け入れ先を探せと言われれば、探しましょう。
 けど、妹は障害者。それがさらに条件を悪くして、どこに空きベッド
のある病院があるのやら。
 ところが、病院から連絡があって、その話は一旦保留に。
 深刻な床ずれが見つかったと言うのだ。
 そんなわけで、私の滞在中、マダムBは、妹のために気を揉まされる
ことはあっても、面倒を見るという物理的な時間は取られないことにな
った。
 私が来たら、あそこへ行こう、ここへ行こうとマダムBが思い描いて
いた計画はすべてご破算になったが、それでも、私達は、最後の夕方、
近くの観光地を一緒に散策することができた。
 そして、私は二軒目の滞在先、ムッシューL宅へ。
 その二日後、マダムBの妹が他界。
 たかが床ずれごときでも、人は死ぬのか。
 一瞬信じられなかったが、それにしても、私のフランス旅行前後の相
次ぐ死。
 なんというタイミングだっただろう。