マダムB(フランス旅行記)

 二月のフランス旅行は、マダムBに会うのが目的の一つだった。
 もともと彼女の娘が私の友達で、日本在住中に尽力してあげたら、マ
ダムBから、母親としての感謝の言葉と共に彼女が編んだレース編みの
花瓶敷きが送られてきた。
 私は返信メールを送った。
 私達の最初の接点である。
 が、それでやりとりが終了しなかったのは、彼女が、ほどなく、内な
る思いをさらけ出して書いてくるようになったからではないか。
 そうなったら私もそれに見合って長く書くから、彼女も私も、メール
の本文に書くには長すぎる時は、手紙を添付書類で送付することも多々。
 彼女は数年前に癌で手術した。
「近頃、薬が変わったせいか、ひと晩中眠れないの」
 手から物が滑り落ちる。
 家族には内緒だが、家の食器を幾つかを割ったし、レストランでは、
グラスを落としてテーブルに水がこぼれ、家族に馬鹿にされた。新しい
薬のせいだと思うんだけど。
 身近な人には言えないことを、遠い異国の私には話せる。
 嬉しいけれど、彼女のこの言葉は聞き流せない。
「ここが痛いあそこが痛いと訴えて同情を引く人より、黙って耐える人
を、私は尊敬します。でも、どう頑張っても無理な事を愛する家族にか
らかわれて、それにも黙って耐えるのでは、あまりに自分が可哀相すぎ
ませんか。家族は、あなたが健康を取り戻したと思うから、愛情を込め
てからかったんでしょうし。
 薬のせいなの。そう打ち明けてもいいのではないですか。でないと、
あなたも、あなたの家族も、本当の意味では幸せでないことになる」
 私の助言を受け入れ、彼女は家族に話した。
「趣味の編み物をしたいけど、目の奥が異常に痛むの。運転中も。光が
眩しい」
 そう聞いたら、私は、予想できる病気や治療法を調べて伝えずにいら
れない。
 的外れも多かったろう。だが、私の熱心さは彼女の心の慰めになった
かも。
 直接会う前に、私達にはこういう三年間があった。
 そして、ようやく会いに行くと決まったら、その直前に彼女の父が他
界。
 彼女はその打撃などないみたいに、私を歓待してくれた。
 そのことを思うと、彼女の家を去る時、私は涙がこぼれた。
 私が次の滞在先に移ると、今度は妹が死亡。
 お悔やみに舞い戻った帰り際も、私は涙が出た。
 ところが、彼女は一度たりとも涙を見せなかった。
 癌以降、もろもろの病気と闘うつらさを家族に気取られぬよう振る舞
うことと比べたら、どうってことないのかなあ。
 私には無理。
 私は彼女を尊敬する。