つらそうな正論

「この人は、今、自分の考えを私に押しつけようとしている」
 と感じた途端、私の心は強く反撥する。
 それはもう、おもしろいほど反射的。
 で、考えてみた。
 私が敏感に反応してしまう押しつけとは、どういうものか。
 その人の「正論」ということになるだろうか。
 その人の「正論」が、その人の中で、その人の「個人的常識」から
「この世の常識」にまで格上げされ、
「この世の住人たるあなたも従うべきルールなのですよ」
 という態度に出られると、捨て置けなくなる。
 私も社会人なので、相手との親密度如何(いかん)では、黙って聞き
流すことも多いのだが。
 ちなみに、この場合の「正論」「常識」に、社会人としてのマナーや
社会生活を営む上でのルールは含まない。
 それらを切り分けたあとに残る「正論」。ゆえに結局、個人的な趣味・
嗜好ということになる。
「本は、借りたら、返すものでしょう」
 澄んだ瞳で言った友の言葉も、そう。
 通常ならこの世の常識となるところだが、彼女の妹と私のあいだで返
却不用ということで話がついていた。なので、姉は、妹が長期間借りて
いると気がかりに感じたのなら、まず妹に、
「早く返さなくてもいいの」
 と確かめればよかった。
 それはせず、的外れな謝罪をするから、そうかあ、私にもらったとい
う情報を、妹は姉に伝えていないんだ。仲の良い姉妹のようでも、伝え
ないことを選ぶような微妙な心理もあるのかなあ、などと勘ぐることに
なったのだったが、姉の方は、私がそれらの本は妹にあげたと説明して
も、信じられないという表情。
 頑固だ。
 あ、そうか。
 自分の考え方だけが「正論」「常識」だと言い張る人は、それ以外の
発想を受け付けないので、頑迷になっていくしかないのか。
 それで幸せならいい。
 けど、
「こうあるべき」
 と口にすることでもう一つの可能性に蓋をし、この道以外にない、と
無理にも自分自身に言い聞かせようとしているように見える時がある。
 つらそうだし、明るい笑顔はない。
 そんな苦痛の発想に私を巻き込もうとされてもねえ。
 私が反撥するのは、たぶん、そこだな。
「せっかく結婚したのに、離婚はしないでしょ」
 結婚相談所で出会った相手と結婚して二年目の友が言った。
「そう信じるのなら、それがあなたの正解」
 心の中で思うも、口には出さず、ただ頷いたが、
「なんで一つに決めつけるかなあ」
 というのが私の本音。
 どっちもあり。
 選ぶべき時が来たら、一つを選ぶ。
 そんな風にふらふら生きるのではいけませんか。