暴力は手抜き

 叩いて、言うことを聞かせる。
 叩かれた者が、立場上、絶対にやり返せない状況下で暴力を行使する
のは、相手を思い通りにするのに一番効率がよい。
 ラクだし。
 桜宮高校バスケットボール部の顧問が常習的に生徒の頬をはったり頭
を殴る指導法を採用し、これに耐えられなかった主将の二年生男子が自
殺したあと、この顧問は、
「迷いが見える選手に対し、気合いを入れ、気持ちを発奮させるために
手を上げ、その効果を実感できた」
 と陳述したそうな。
 同じくスポーツの世界に身を置く別の指導者が、
「技術を教えることはできても、意欲を教えることはできない」
 と意欲を引き出す難しさを語っていたが、私はこっちの方に頷けるな
あ。
 本気モードのスイッチは、本人自身にしか押すことができない。
 それを暴力で強制できるというのか。
 桜宮高校のOBや生徒の親の中に、この顧問を擁護する活動を検討し
ている人がいるということは、暴力という恐怖を浴びると、やる気に火
がつく人達がいる、ということなのだろう。
 ならば、そういう世界もあり。
 ただ、普通は、最善を尽くしたのにミスした時、暴力で活を入れられ
たら、
「次はこうしてみよう」
 と考える、その考え自体に自信が持てなくなり、これが繰り返される
と、いずれ思考停止に陥る。
 暴力で思考を停止させ、精神的に支配したのは角田美代子。
 被害者は地獄を生きさせられたが、桜宮高校の顧問は、生徒に、思考
停止も意思なきロボットになることも許さなかった。
 それは精神的にひ弱なことだから。
 俺の暴力指導に、より良きプレイで応えよ。それができる一流になれ。
 そういうことか。
 でも、そうなれるのは、ほんの一握りの人間。
 その他大勢は、精神を破壊され、あるいは「言葉より暴力」だと身を
もって学び、社会に送り出されることになる。
 三人の子を持つ保育士の知り合いの話。
「二人目は私立の保育園に通っているんだけど、その子が家で絵を描く
のに、いちいち“このクレヨン、使ってもいい”とか聞いてくる。必要
なら勝手に使えばいいやン、と思ったけど、そこの保育園では、子供に
いちいちお伺いを立たせているんだってわかった。子供が勝手にあれこ
れ触ったら統制が取れなくなるからだろうけど・・・困ったわ」
 困るのは、このままだと自分の頭で考えることをしない子供に育つか
ら。
「独創性のある人間たれ」と言われる。
 でも、この国は、そこへの導き方があまりにねじ曲がって、「いけず」
ではないですか。