繁栄の法則

「嫌われてもいい、と言ってみて」
 などと相談者に迫るカウンセリング手法で、今、時の人たる心屋仁之
助。
 ブログや本の中で彼がよく遣う「損してもいい」に私は悩まされた。
 意味の説明もあるから、理解はする。だが、別のところでまたこの言
葉と遭遇すると、わかっていなかったのでは、と不安になってくる。
 どうやら、この言葉は複数の内容を代表する呪文のようなものらしく、
意味は一つではない、というところに混乱させられた模様。
 特に、
「すぐに謝ることが損になったり、あるいは謝らないことが損になる」
 という禅問答のような言葉は完全にお手上げ。
 カウンセリングを実際に受けるのであれば、自分に当てはまる「損し
てもいい」だけを抽出してもらえて、混乱はあり得ないだろう。でも、
文章で不特定多数の人に向けて発信しようとすると、こう書くしかない。
で、混乱する読者も現われるのかも。
 私はそこまで推察できていた。
 なのに、「損してもいい」がわからない。
 困り果てて、心屋の認定講師という人達のブログに飛ぶ。
 本家以外は邪道と思っていたが、そういう人達の言葉を読むと、スッ
と腑に落ちた。
 上記の例だと、自分が悪者になって謝ることで人間関係をうまくいか
せてきた人は、謝らないのは恐怖で、損なことになるが、安易に謝るの
はやめてみよう。
 反対に、いつもなんでも人のせいにする人は、自分の非を認めるのは
一番したくないだろうけど、敢えてその損にチャレンジしてみよう。
 それだけは死んでも嫌、ということを実行すると問題が解決しますよ、
ということのようだ。
 そう理解したのち、心屋自身の言葉に出会うと、やだ、彼はちゃんと
そう述べているじゃん。
 けど、彼の言葉だけを頼っていたら、今も私は迷いの森にいただろう。
 食べ物屋のチェーン店とは違い、この分野は、配下のカウンセラーを
増やせば増やすほど、個々のカウンセラーの色が付け加わる運命にある。
それを「否(いな)」とすると創始者は厳しい管理体制を敷くことにな
るが、心屋はそれを大きくゆるめる道を選んだ。おかげで、私は、私の
心に届く言葉に出会えた。
 そうかあ。繁栄ってこういうことだったのか。
 すると、長年疑問だった仏教の宗派の多さも理解できた。
 繁栄すると、そうなることになっているのだ、この世では。
 実は「損してもいい」に関しては、やっぱりわからない、と言い張り
たい私だが、こと繁栄の運命と功罪についてはあっさり理解できたので
ある。