誰かに、おもねらない

 テレビで、芸能人の女性二人が、嫌いな男のタイプは、
「自分を大きく見せようとする人」
 であると、まるで示し合わせたかのように一字一句変わらぬ答えを書
いたのを見てほどなく、別の番組でまた、この言葉と遭遇。この時も、
発言したのは女性だった。
 物真似タレントの青木隆治が、本当は歌手として売れたいが、思った
ようにいかないと悩んでいて、会いに行ったのが高校時代の音楽教師、
その女性だ。
 先生は、授業中に初めて青木の歌を聴いた時、打ち震えるほど感動し、
放課後、青木に個人レッスンをしてくれるようになった。
 青木が行かなくなってそのレッスンは自然消滅したが、先生が青木の
才能を見抜き、高く買ってくれていたことは間違いない。
 青木自身、一九九七年の『NHKのど自慢』で優秀賞を獲得して、才
能があることを証明した。
 しかし、彼には、歌はうまいが、「心がない、感情が伝わってこない」
という批評がついて回る。
 もう、どうしていいかわらかない。
「なんで自分を大きく見せようとするの」
 訪ねて来た青木に、先生は言った。言ったはず・・・。
 ちょっと不安になってくるのは、その番組を見てからずいぶん経って
いるし、録画もしていないからだ。でも、
「あ、またこの言葉!」
 三度目の正直となったことに驚かされた記憶は鮮明なので、私の記憶
に間違いはない、として話を進める。
 先生は、続いて、うまいと言われたくて、認められようとして歌って
いるのではないか、というようなことを言った。高校時代の青木は、周
りの反応など気にも留めず、ただただ歌うことが楽しそうだった。
 そして、先生は、
「歌とは怖ろしいもので、心が全部、歌に出るのですよ」
 とも言われた。
 声が、その時の気持ちを伝えてしまう。そうかあ。音楽って、そんな
に怖い世界だったんだ。
 歌は、技術だけでは伝わらない。 
 じゃあ、どうやって心を伝えばいい。
 歌う自分自身が、歌う喜びに溢れること。
 こんな風に聴いてほしい、などと他者に意識が向かった途端、その邪
念が声を濁らせる。ましてや、もっと歌が上手な自分だと思ってほしい
と思いながら歌ったりしたら、誰も感動させられない。
 より良く見せたいという欲は、毒。
 それが、この場合の「大きく見せようとする」の意味であった。
「自信がない」「自分自身が嫌い」とは出発点が違う。
 いや、究極的には同じことなのかなあ。
 前後の文脈なしにこの言葉を遣ったら、普通は、どう受け止められる
ものなのだろう。