自分を大きく見せようとする人

「自分を大きく見せようとする人」
 さあ。こう書いたからには、我が脳よ、今はこのことに関してのみに
思考活動を限定するのだよ。
 などと妙な書き出しになったのは、こうでもしないと、この話を書け
ない、と思ったからだ。
 これを書こうと思ったのは四月だった。だが、前座的に別の話を書い
たら、六回、回を重ねても寄り道は終了せず、前回は結婚式に出席した
話へとさらにすっ飛ぶし、もう、このまま手が書きたがるに任せようか、
と諦めかけるが、すると、手を牛耳っている脳がそれは嫌だと天の邪鬼
な反応をするので、ならば、と一行目で高らかに宣言し、我が脳に自覚
を求めた次第。
 ということで、「自分を大きく見せようとする人」である。
 この言葉を、この春、立て続けに三度、テレビで耳にした。
 まずは、番組の中で、「嫌いな男性」を紙に書くよう言われた芸能人
二人が、この言葉を書いた。
 偶然の一致に驚くも、
「こういう人って一番嫌よねえ」
 と共感し合う二人。
 なるほど。
 自分をこんな風に見てほしい、と画策しても、裸の王様と同じで、滑
稽なぐらい見透かされるってことなんだな。化けの皮は、剥がれるのを
待つまでもなく、人の不審を誘うってこと。
 等身大の自分自身で勝負すれば、好感を持たれる。
 なのに、なぜ、ほら、こんなに自分は立派なのだよ、と見栄を張りた
くなるのだろう。
 等身大では駄目だ、と本人自身が思っているからなんだろうな。
 自分に自信がない。
 ところが、「自分を大きく見せようとする」ことで人の目を眩まそう
とした途端、自信がないだけでなく、自分で自分のことが好きではない、
という心の傷まで伝わってきて、嫌われるのではないか。
 自分に自信がないのは、大抵の人がそう。
 でも、自分自身が好きじゃないのは、ちょっとつらい。そういう人と
一緒にいると、こちらまでつらくなってくる。淀んだ言動、行為にこち
らまで侵食される気がしてくる。
 だから逃げる。
 とにかく、自分をよく見せようと腐心しても、絶対に見抜かれる、あ
などらざるべし、人の第六感、と学べば、策略に走ろうとする自分自身
に、格好悪いから止めようぜ、と言い聞かせられることにもなるだろう。
 そんなことを考えるきっかけをもらえたので、この二人の意見に遭遇
できてよかった。
 が、そのあと、思った。
「自分を大きく見せようとする」
 は抽象的な言葉である。
 この言葉を、私は正しく理解できたのだろうか。
 すると、新たに、この言葉を聞く機会が訪れた。