相談される苦痛

 七月四日、FIFAワールドカップの準々決勝中に、ブラジルのネイマー
ルはコロンビアのスニガから背中に蹴りを入れられ、戦線離脱を余儀な
くされたが、七月十日、初めての公の場でスニガのことを、
「悪意を持ってやったとは僕には言えない」
 と語った。
 観ていた人にはあれは普通ではなかったとわかっただろうが、と判断
は第三者に委ね、
「僕の頭の中は、彼の頭の中ではないから」
 と言ったというのだから、二十二歳にして成熟した精神のネイマール
である。
 そう。他人の心の内は読めない。
 なのに、なぜ、私は、そうできる、と言うのか。
 東尾理子の「ユニーク」発言に噛みついた時の友がそうだし、それ以
前にも一人いた。
 その遠方の友は、電話をしてきては、中学生の娘に暴力をふるわれる、
唾を吐きかけられる、それに娘は自傷行為をしていると訴える。
 私のことを歯に衣着せず意見を言ってくれるから相談し甲斐があると
買ってくれているようだが、私とて思ったことを野放図に口にするわけ
ではない。
 現に、一緒に旅行して、奈良の鹿にせんべいをやろうとする娘に、
「ママはこっちの鹿にやった方がいいと思うけどなァ」
 などといちいち指図する友の姿を目撃してからは、娘が長じたらそう
いうことにもなろうと危惧していたが、一度娘を連れて心療内科か精神
科に行ったらどうかと進言するのが関の山。
 ただ、
「子供の問題のつもりでも、家族の関係性がそうさせていることも多く
て、両親も呼ばれるみたいだけど」
 と仄めかしたのはまずかったか。
「一年半待ちだと言われたから、諦めた」
 と告げられ、え、医者はほかにはいないのかい、と私は絶句。
 まあよい。所詮ひとごとだ。
 が、夫と二人がかりで娘の精神の翼を折るつもりだと私の耳には聞え
る言葉を友が発するに及ぶと、私は意を決して、友の干渉と支配の行き
すぎを指摘した。
 やんわりと。
 途端に友は態度を硬化させ、涙声で私の友達甲斐のなさをなじってか
ら、電話を切った。
 以後、音信不通。
 そうなってもいいと腹を括って発言したので、後悔はない。
 でも、なんでそこまで私を追い詰めるかなあ。
 頼まれもしないのに人の心の問題を暴いて悦に入るな、とは心理カウ
ンセラーが戒められることのようだが、そうせざるを得ないよう追い詰
められる素人は、どうすればいい。
 ほかの誰でもなく私が選ばれたということは、選ばれるような何かを
持ち合わせていた私が悪いのか。
 そうではない、と得心できたのは、つい最近だ。