友の在り方

 二年前、東尾理子の「ユニーク」発言を聞き捨てにできなくて、私に
議論を吹っかけてきた友。
 しかし、友は、ブログにこれほど批判が集まっているのだから東尾は
何らかの意思表示をするべきだと言い張るばかりなので、私は友の言葉
を真に受けた振りの議論を強いられ、不本意だった。
 友の建前に乗った場合でも、本当はこう言いたかった。
 陽性の可能性は残るが気にせず産むと表明した東尾に、結果がどうで
あれ産むのなら、なぜ血液検査を受けたのかと、赤の他人がしつこく問
い詰めたら、検査結果が陽性だったら産んではいけないのですかと反対
に東尾から聞き返されるかもしれない、それが望みなのかと。
 それに、友は一貫性がない。
 彼女の担当医でもある不妊治療の医師とその患者がテレビで放映され
たことがある。その患者は特殊な持病のある人で、妊娠できた喜びの中、
遺伝性の病気なので精密検査をしたら、生まれてくる子も同じ疾患を持
って生まれてくるとわかった。夫婦で悩み抜き、産むと決めた。そんな
内容だった。
 この夫婦の決断を、友は批判しなかった。
 矛盾である。
 が、友の現実を見ると、そう指摘することは憚られる。
 私に言えたのは、ブログに批難が殺到していると言っても、ほとんど
が名前を名乗らずに済む人達であろう、そういう人達全員が納得するよ
うな説明を求められても対応できるわけがない、東尾が沈黙を守ってい
るのは大人の見識だと思う、だいたい、すごい影響力がある人だと言う
けれど、「ある」と思うから、そう思えるだけなんじゃない、気に入ら
ないなら、こういう考えの人もいるんだ、ぐらいで軽く流して、東尾の
ブログをこれ以上見張らなければいいでしょう、というようなことだっ
た。
 核心から大きく離れる一方の議論である。
 検査の結果、お腹の子は生まれても一年持たないだろうと医者から言
われて、ショックだっただろうね。産まないという選択をするのは辛か
ったよね。でも、それでよかったのよ。
 あなたは、それでよかった。
 友にそう言いたい気持ちが溢れているのに、なぜ、友は、私がそう言
えるような会話に導いてくれないのだろう。
 今あなたが言っていることは、あなたが本当に言いたいことから微妙
にずれている。
 本音は、手に取るようにわかる。
 そう思っても、そう言えない。
 そして、相手の言葉を本音だとみなした浅い会話を続けさせられる。
 友達として、それでいいのか。
 そんなことを考えさせられた日の記憶である。