なあなあ嫌い

 フランスでは、
「これか、あれか」
 と二者択一を迫られる場面によく遭遇した。
 フランス人と結婚した友が、三歳の娘にシャンゼリゼ通りの高級菓子
店でキャンディーを一本買い与え、しばらくして娘が友と手を繋ぎたが
ると、
「まだ食べ終えていないでしょ。それとも、もういらないの。どっち」
 と言い、娘は友の手を選んだ。
 友はキャンディーをゴミ箱に捨てた。
 ニホン人気質の私は、え、どっちもほしいじゃ駄目なの、といじまし
い発想。
 二兎を追う者は一兎をも得ず。
 もっとも、近頃は「両方求めてもいいんですよ」という言葉を聞くこ
ともある。
 実に甘美だ。何一つ諦めなくていいと言うんだから。
 ただ、この考え方だと、優先順位を見極める目がぼやける。
 潔さと無縁になり、ただもう、欲どおしくなる。
 けど、一番まずいのは、自分で自分の気持ちがわからなくなることで
はないか。
「あれかこれか」の二者択一を迫るフランス流は、全部は選べないとい
う現実を受け容れ、かつ、選んだ責任は自分が負う、という精神が鍛え
られる。
 何より、どちらを選んでも、選んだ人の気持ちが尊重されるのが素晴
らしい。
 その当たり前のことが、ないがしろにされがちなニホン流。
 自分の考えや希望を却下される場合、論理だった説得なきまま、希望
と違うことを強いられる。
「まあ、いいやん」
 とか、
「ええから、一緒に行こ」
「そんな固いこと言わんと」
 というような場面は日常茶飯事。
 親が子に対してそうだし、学校でも社会に出てからも、そう。
 強いる側の言葉遣いは高圧的でないため、理不尽なことを強要される
側が理不尽だと感じ取れないことも多いかも。
 しかし、こういう押しきられ方が続くと、自分という人間は正しく判
断できないらしい、と卑屈になったり、どうせ駄目って言われるんだか
ら、相手の顔色を見て、期待されていることを答えておこう、と考える
ようになりそう。
 押しきられるのは押しきられる人間の問題。押しきられたのであって
も了承したのであれば、その人の積極的な選択だったことになる?
 本当はそうしたくなかったという思いはくすぶっているはずだから、
ひとたび何かあったら、きっと、逃げの発想が芽吹く。
 人の言うとおりにしていれば、人のせいにして責任逃れできるから自
分が一番得をする、とにんまりしていたとしても、長期的には心がゆる
やかに殺されてゆくだろう。
 だから私は、ひとごとであっても、「支配」と感じる場面に不感症に
なれない。