張り合わない

 張り合う気持ちは、誰の心にも潜んでいる。
 たとえば、自分は後輩に対して親身で頼りがいのある先輩だ、と自負
していたら、自分の地位を脅かすぐらい力のある後輩は蹴落としたくな
って、あ〜あ、と気づかされる。
 この手のは、正しく「張り合える」相手に対して芽吹く感情。  
 が、どう見ても同じ土俵にない相手にまで、この感情を抱くことがあ
る。
 フランス人の知り合いを研修生として会社で一時的に引き受けてもら
ったら、彼女に向かっては、
「足が細い、色が白い」
 と日本人の同僚が口々に褒めた。
 日本人に混じっても小柄な彼女。それゆえ受け入れてもらえたのなら
彼女のためには良かったが、足ばかりか身体も細すぎて拒食症が懸念さ
れるのに、「足が細い」というその一点だけを褒めそやす日本人。「色
が白い」に至っては白人の当然なので、嫉妬する理由がわからない。
 感情が先走ったら人は分別をなくす、ということかもしれない。
 相手には、ある。
 私にないものが、相手にはある。
 相手にあるものは、素敵だ。
 それがない私は、つまらない人間。
 そういう思考回路ができあがってしまったら、土俵の違い、生まれつ
きの差など蹴散らして、私だってその気になれば、と鬼気迫る気持ちに
なるのだろうか。
 で、自分なりに頑張るも、到達できないと知ると、そんな自分を卑下
する、あるいは無邪気な憧れから一転して、相手を激しく憎悪し始める。
 けど、実は、張り合う気持ちを持った時点ですでに負け。勝っている
人は劣っている人に対抗意識は持たないものなのだ。
 そこが納得できたら、羨ましいとか妬ましい、目障りだという感情に
襲われた時、相手のどこの部分にそう感じるのかをしっかと見極め、で
は、その領域で相手を凌駕できたら自分らしさが花開くのか、と考えを
押し進めると、大抵の場合、自分の良さはその道にはみつからないと気
がつく。
 私は私の道を探そう。
 自分では当たり前すぎて、たいした価値がないと思っていることが、
案外、人からこっそり羨ましがられていたりする。
 でも、聞いても、人は教えてくれないよ。
 嫉妬深いから。
 意地悪だから。
 まだ原石のままのあなたの良さが、自分のひと言で光り輝くダイヤモ
ンドになったりしたら癪だから。
 だから、気づいて、磨くのは、自分自身。
 その一歩を踏み出したかどうかは簡単に判断できる。
 自分にない素敵な美質できらめいている誰かを見ても、恨めしさや怒
りが込み上げてこなくなったら、その道にいる。