続:日常版・引き寄せの法則

 続いて、もう一つ。
 母が、昔、義母からもらったのが出てきたと言って、腕時計をくれた。
 手巻きだ。
 小さい文字盤で楕円形。これぞ女性物、というエレガントな表情で、
やっぱり昔の物は良いなあ。
 祖母から母に回ってきたのは、老眼で文字盤が見えなくなったからだ
ろう。時って意外と早く経つから、お気に入りの腕時計でも、老眼で使
えなくなる日が来るのは意外と早かったりする。今、女性用でも男物み
たいに大きな文字盤の腕時計が主流なのは、そういう理由もあるんだろ
うな、と私は密かに睨んでいる。
 デパートの時計コーナーに相談に行った。随分古い物だが今も使える
のか。
 螺子を最後まで巻き上げて翌日の同じ時刻に正しく時を刻んでいたら
大丈夫なのだとか。目の前で巻いてもらった答えがわかるのは翌日だが、
使える前提でバンドの相談もしておく。付いている革バンドはすぐに割
れそうなほどに劣化している。ステンレス製にしたら、二度と買い換え
なくてよくなるのよね。
 だが、七ミリ幅という細いのがないし、この腕時計が革バンドで売ら
れていたことからわかるように、革バンドの方がお洒落だと店員に言わ
れると、同じ女性の感性でなるほどと頷ける。
 ところが、革バンドもやっぱり既製品でこの細さはない。既製品を加
工するか、一から作ってもらえるか。
 ふむ。
 時代に逆流しようとすると、こういう面倒を粛々と受け入れ、解決し
なくてはいけないんだ。
 とにかく、一旦家に帰り、螺子を巻いた時刻と止まった時刻を記録し
始めた。
 が、つい忘れる。
 忘れちゃいけない、と思うと、一日一回のことなのに、一日に一回
「も」と感じ、腕時計に支配されている気がしてくる。
 ところで、店員が巻いてくれた時は二十四時間以上もったが、私が巻
くと、止まる時刻がだんだん早まっていく。なんでだろう。
 そして、ある日。
 あれ、前日に巻いた時刻とぴったり同じ時刻で止まっているなあ、そ
んなすごいことってあるのかと思い、螺子を巻いてから時計に耳を当て
ると、ん、音がしない・・・。
 店に持って行く前から悪い予感はしていた。
 案の定、どこまで巻いても巻き止まりにならない。巻きすぎて切れた
のだろうと言われた。
 巻き止まりまで来たと感じても、念のためにもうひと巻き、ふた巻き
するなんて、絶対しちゃいけないことだったんですって。
 メーカーに問い合わせてもらうも、古すぎて修理は不可能。
 ということで、これも引き寄せの法則になったのである。