「自分なら」と言いたくなる時 3

 子だくさんの友達の、長男と次男は小学六年生と五年生。
 彼らを祖父が旅行に連れて行ってやるという話になった時、次男がサ
ッカーがあるし行かないと言い、それで決着したはずが、直前になって
次男が言ったそうな。
「お兄ちゃんだけ行くのは、ずるい」
 結局、次男も行った。
「ずるい」と感じる人間の性(さが)が実によく現われている話だなあ、
と私は笑ってしまった。
 自分以外の人間が自分より良い思いをすると思うと、それを阻止した
くなる。それは、せちがらい世の中に直面する大人になってから芽生え
る感情ではないのである。
 ずるいと感じたらどうするか。
 この次男のように、自分は行かないと宣言しても、兄貴が「じゃあ、
僕もやめる」と言ってくれないとわかったら、前言撤回して自分も行く
ことで、兄に対して「ずるい」と思う感情を消滅させるのが一つの方法。
 そうできない場合は、ベンツおじさんのように「自分なら」という言
い方で、自分のやり方、考え方こそが正しいと圧をかけ、相手の翻意を
促そうとするのだろう。
 私は、どちらにとっても異国の地で知り合い、経済的な見通しもない
のに学生結婚し、夫の大学卒業がずるずる延びても親からの援助で成り
立っている友人夫婦を、良いと評価しているわけではない。この外人夫
に関する新たな情報を聞くと、彼はこの先もずっと妻の金持ちの親を当
てするんだろうな、という確信は強まった。
 それでも、今の状態で凪いでいる当事者達に、部外者の私が意見する
筋合いはないし、ましてや私が勝手に「ずるい」と感じるのは違うと思
っている。
 私とて「ずるい」とか「羨ましい」と感じることはある。過去にはも
っと反射的、ゆえに頻繁にそう思うことはあった。
 ただ、それは「なんでこの人だけそんなに優遇されるの、私じゃなく
て」と私自身が同列になれない運命を恨む心根であるなあ、と気がつい
た。相手と真剣に競り合っている分野の事ならまだしも、全然意識もし
ていなかったのに、相手に棚からぼた餅的な好運が訪れたと聞いて、許
せないと熱くなるのは、心がさもしすぎないか。すると、「ずるい」と
いう気持ちを押し隠して、こうあるべきだと意見したくなる事が減って
いったのだ。
 しかし、金持ちベンツおじさんは「自分なら」と迫るのをやめない。
 もしかしたら彼は、ずるいとか羨ましいと思っているのではなく、純
粋に友とその親の金銭的な今後を心配していて、つまりは私よりよっぽ
ど親切なのかもしれない。