「ずるい」と感じる時

 前回、ベンツおじさんの方が私より、友とその親に対して親切なのか
も、とおじさんを持ち上げるようなことを書いて締め括ったが、彼の親
切は、でも、ごく表層、と冷めた目で見ているのが私の本心である。
 おじさんの思いの大半は、親の財力に負ぶさってなんの疑問も持たな
い友と、子に甘すぎる彼女の親、その双方への怒りのはず。
 特に、彼は、恵まれた娘の立場の友を見ると、自分の過去が思い出さ
れ、のほほんとした友を「ずるい」と批難せずにいられなくなるのだろ
う。
 つまりは、やっぱり「ずるい」という感情。
 それにしても、なぜ、人は、自分にまったく無関係のことにまで「ず
るい」と感じるのか。
 それこそが人が人たる所以かも。別の言い方をするなら、人間の脳は、
もともと、そう反応をするよう配線されているってこと。
 人間の歴史上、世界各地で宗教が生まれたのは、人間の脳がそういう
ものを求め、創造するようにできているから。
 同じく「ずるい」というのも、人が生まれながらに持ってしまう原始
的な感情なのではないか。
 友と合宿形式のスキースクールに参加した時、同室の女の子からもら
ったと友が私に嬉しそうにブローチを見せた。その時、私の心はどう動
いたか。
 あるいはまた、私はパリ、友はニホン発でオスロで合流した際、私よ
りあとにホテルに到着した友は、どんな理由だったかは忘れたが、バス
の運転手から帰りのバスの無料チケットをもらったと言った。そう聞い
て、私の心はどう反応したのだったか。
 どちらの友の僥倖にも、私は心から素直に、
「よかったね」
 と喜んであげることができなかった。
 その手の言葉は口にしたけど、しぶしぶ言わされたような口ぶり。
 そんな自分自身が不可解で、心の中を探ったら、彼女達だけずるい、
と私は思ったようなのだ。
 でも、それって変。
 私はその場にいなかった。自分がその場にいなくて恩恵を蒙れなかっ
たことにまで不平を言うような人間なのか、私は。
 そう思うと、自分のことが、嫌な人間だなあ、と思えてきた。
 私がその場にいなくても、そういう私も大切にせよって、そんな不可
能なことを、一体、私は誰に強要しようというのか。
 けど、周りを見回すと、同じような心の動きを見せる人達が目に入る
ので、そうか、人として原始的に普通の感情なんだな、と安堵。
 人は、純真無垢で生まれるわけではなかったのだ。
 ただし、気づいたあと、どの道を行くかは人それぞれ。
 感情は、自分自身で選び取れるのである。