心理学を、道徳では扱えない

 腹を立てる。怒る。怒りを爆発させる。怒鳴る・・・。
 たやすくそうなる人は、そうさせる相手が悪いと言い張るだろうが、
自分が相手より優遇されないという心の痛みが怒りの動力源になってい
たりする。人生において自分はまだちゃんともらっていない、という愛
の不足を思い出さされて、不快なのだ。
 あるいは、相手の言動が一から十まで気に喰わない場合は、その相手
を前にすると、なぜか劣等感を刺激されて、不愉快なのかもしれない。
 あるいは、自分の方が上だと思い知らせねばなぬ、と強い思いに駆ら
れて相手を怒鳴りつけてしまう場合は、威嚇の手段に出るしかないのが
すでにもう、相手の方が自分よりたぶん上、と心密かに怯えている証拠
となるであろう。
 怒りの理由はいろいろ。
 嫉妬、憎しみ、無視、軽蔑、意地悪・・・どの感情も、そう。
 でも、仏陀が教えてくれる人の心の動きとその御し方は叡智だし、心
理学も、私達はこういう時こういう言動をとることが多いが、本音はそ
こにはなくて・・・というように人の心のメカニズムを解明してくれて
いる。
 先にそれらを学んでおけたら、一人で思い悩んだり、理不尽な扱いを
受けても、そうされて当然の自分、などと勘違いすることから自分自身
を護れる。
 学校に道徳の授業というのがあるのなら、その時間に学べたらいいだ
ろうなあ。
 そう思ってから、すぐに、あ、無理か、と意見撤退。
 スポーツは、教えようとする内容を指導者自身がやってみせられなく
ても、指導できる。
 だが、心は、国語や算数などのように、指導者は、教えるレベルをち
ゃんと卒業していないと、教えることに自信が持てないからだ。
 しかし、心の分野は、必ずしも、先に生まれた者が、あとに生まれた
者よりも悟った人、とはならない。
 それに、自分はもう自分自身の心を正しく制御できる有徳の人になっ
た、と思っていたとしても、心の奥の奥のどす黒い感情は、見たくない
から、ない振りをする、なんてことをシャラッとやってのけるのが人間。
 人は、自分自身ですら裏切るのだ。
 それで問題が生じていなければ、捨て置いてよし。
 ただ、もうどうにも心が苦しい、誰か助けて、という心境になった時
に、初めて、仏陀や心理学などに学んで、勇気をもって自分自身の心と
向き合い、暗闇から抜け出せばいいし、小説や映画や漫画に心を学んで
もいいだろう。
 なんにせよ、その必然が来るまで、心は、一人一人が自分の人生の中
で格闘すべきものなのかも。
 そんな気がした。