母が入院

 今頃、私は長野のはずだった。が、家にいる。
 母が入院したのだ。
 母が不調を感じたのは四月二十六日。翌日、母が言う症状から、この
専門医、と予想して連れて行ったら、五日後、五月一日には大病院に入
院と相成った。
 まず、専門医から、念のためにと血液検査した結果が看過できなかっ
たと翌朝火曜に呼び出され、大病院でCT検査をするよう手配されたら、
その結果も、またもや検査の翌朝金曜に専門医から呼び出されて説明さ
れ、その足で大病院に向かわされた一連を考えれば、急を要する症状だ
とわかろうというもの。
 折しも連休目前。連休中に体調が急変して病院に搬送されても、対処
は不可能。そういう最悪を回避できるぎりぎりであった。
 なのに、母は、入院したら、五月二日のカラオケ教室を欠席すること
になる、と拒否反応。
 困ったことに、大病院で、新たに血液検査をしたら数値が下がってい
たので、入院せずに連休明けに再診、その一週間後にMRI検査でよい
と言われ、母は狂喜していたのだ。
 それが、一転、即入院となったのは、再診とMRI検査の日にちを、
母と私がそれぞれに自分の都合を優先して決めかねているあいだに院内
電話がかかってきて、医師が「やっぱり入院にしましょう」と意見を翻
したから。
 母は、MRIの日は、十四日はカラオケ教室だから駄目だと言い、
「あんたかて、十五日は長野に行くからあかんて、自分の都合は押し通
すやん」
 と言ったりして小競り合いになっていたが、私としては、入院しなく
てよいのかという不安もあり、すべてを急ぐべきで、十五日よりは十四
日、と納得してほしくて、十五日の旅行は動かせないという態度を取っ
たのだ。そんな真意は母に伝わらなかった模様。
 趣味って病気より大切なのか。
 まあ、趣味が生きる心の張りになったりするから、悩ましいのだが。
 なんにしても、私達が診察室にいるあいだに電話がかかってきたタイ
ミングに感謝。
 母は、そのまま、手術着、点滴、麻酔で、急な症状を抑える処置室へ
と消えた。
 五月二日のカラオケ教室は当然欠席となったが、連休中の五日を退院
日と決める際、正式な処置のための再入院を十五日に決めたのは、母が
カラオケを心ゆくまで楽しんだ翌日を選んだのである。
 私は旅行を取り止めた。
 母が完治してからでないとおちおち旅行を楽しめないから、いいんだ
けど。
 でも、なんか腑に落ちない。
 母は来週早々、退院の予定。
 私は、母の入院にまつわって突き指した左足の完治は遠そうだし。