データの調理法

 私は数字に弱い。二人で割り勘にする時、一人あたりの値段を空で計
算することもできないぐらい数字が苦手。
 だからだろう。相手に全幅の信頼を置くのではなく、手間はかかるが
自分で納得できる形で理解しようとする。電卓を使うとか。
 六十五歳から七十四歳までを「〈准〉高齢者」という定義にしたがる
真意が読めず、元データから理解しようとするのも、その一環かもしれ
ない。
 前回、そのデータから、
「要介護申請者は二十九人」
 と引用したが、実際に要介護になっている人の数が気になって、デー
タを見直した。
 要支援・要介護は総計三百七十一人。
 調査対象者は、全国の六十歳以上の男女六千人であった。
 うちの有効回収数が六十四.九%の三千八百九十三票で、その中の三
百七十一人が自分は要支援・要介護者だ、と回答したわけだ。
 でも、だからと言って、調査自体に無回答無反応だった二千百七人を、
要支援・要介護、あるいは知的・身体的にさらに深刻な状態で回答でき
なかったのではなく、単に非協力的だった、と見なしていいことになる
だろうか。
 ほかにも疑問はある。
 六十五歳以上を高齢者扱いしている内閣府が、今回の調査だけ六十歳
以上を調査対象にした。
 六十歳から六十四歳までの有効回収数は二十一.二%の八百二十四人
で、これは、六十五歳から六十九歳までの九百十九人に次ぐ回答数の多
さだ。
 前回、私は、若いかどうかは自分ではなく他人が判断するもの、と書
いたが、この調査に、対象層に満たない直近層をさりげなく潜り込ませ
たところに深い意図を感じる。
 だって、六十歳から六十四歳までは、それ以降の年齢層より健康な人
が多いはずで、好ましい結果を嵩上げしてくれるだろう、と調査前から
予想はつく。
 まあ、それよりも、六十五歳以上の高齢者人口として内閣府が発表し
ている三千三百九十二万人ほどの総数を考えると、その一万分の一以下
の声を根拠に「六十五歳から七十四歳は、心身とも元気な人が多く、高
齢者とするのは時代に合わない」と結論されたと知ると、データの扱い
方の妙に感心させられるばかりだ。
 もし、六十五歳から七十四歳までのあいだに大病や脳の萎縮で厄介者
になったら、
「まだ〈准〉高齢者なのに」
 と罪悪感に駆られることになりそうだなあ。
 反対に、九十歳以降の〈超〉高齢者の域に達しても生きていたら、
「まだ生きている私・・・」
 と、今度は別の種類の罪悪感を強いられそう。
 そう想像するのは私だけだろうか。