美味しければ

 きのう、母親から、ばら寿司を買ってきてくれと頼まれた。
 刺身の柵を買ってきて、ばら寿司まがいの物を作ろう、と思っていた
のにな。
 そのイメージが頭から離れなかったのか、本マグロを中心に海鮮がふ
んだんに散りばめたのを買ってしまい、普通のお雛様のばら寿司っぽく
ない。
 美味しければよかろう。
 が、母に味を聞くと、
「うーん、ご飯が美味しくない」
 否定的な事を言われると、私が作ったわけじゃないのに淡き反撥が目
覚めるが、そう言われて酢飯の味に意識を集中したら、なるほど酢の効
き具合が足りない気がする。
「上にのってるのが刺身やからかもしれへんよ」
 弁護するようなことを言って、それが正解だと思うが、ネタより酢飯
の味に意識が向かってしまう。
 けど、なんで母に言われるまで気づけなかったんだろう。
 私は、私の料理の味付けに並々ならぬ自信がある。
 お菓子類などの完璧な加工品は、初めから身構えて批判的眼差しにな
るしごく偏向した私だが、そこまでいかない半加工食品については、私
の取捨選択に耐えた品だと思うと、つい好意的に評価してしまうのか。
どんなに美味しくても目の前で作ったのにはかなわない、という根拠な
き大前提も、寛容さの原因になっているかも。
 しかし、そもそも私は食べる物にさほど執着がないらしい。
 ゲッターズ飯田が、人には生来的な欲があり、それが満たされる状況
だと幸運、満たされていないと不運だと感じるものだと言っていて、五
つある欲のうち一つが「食欲・性欲」らしいが、「食欲」なんて誰もが
持ってるんじゃないの、と思っていたら、別の場所に、
「何を食べよう、と相談されて、何でもいいと答える人がこの世には結
構いる。生きるために必要な食べるという行為に積極的でない人が本当
に多い。美味しいとか、まずいではなく、目の前に出されたらなんでも
いいから食べる人達」
 というような文章があり、占いでいうところの「食欲」の意味がよう
やく理解できたし、あ、これ、私、と驚かされた次第。
 食への関心の高さ、と思っていたのは、栄養価、栄養のバランスへの
こだわりだったらしい。
 レストランでも、何料理を食べるか、メニューも、相手が選んでくれ
た方がラクで嬉しい。
 友達のダンナが、晩ご飯を食べている最中に、もう、あしたの晩に食
べたいものを言う、と聞き、なんて可哀相な結婚生活、と心の中で友を
憐れんだ私は、やっぱり、食は美味しければなんでもいいんだ。
 雛祭りの日に、新たなる自己発見だった。