自分探し

 厳密には、飛行機の中で耳の内と外で気圧が違った時に唾を飲み込む
ような動作をする、と言うより、右耳そのものを動かそうとしてみる、
と言った方がいいかもしれない。人の目には何も起こっていないように
見えても、私の右耳の中ではクチュクチュ音がする。
 扁桃腺炎を発症して、その癖が頻発した。
 回復後、ふと閃いて、左の耳でもそうしてみた。
 すると、右耳の場合より反応は遅く、音も小さいが、クチュクチュ音
が鳴るではないか。
 過去に右耳の鼓膜が破れたことがあり、その後遺症があって当然、と
思い込んでしまったのか、こうしたら右耳で音が鳴る、というのを日常
的に繰り返すようになったのかもしれない。
「自分探し」という言葉を聞かなくなったが、自分を知りたい、という
情熱を、たぶん、私は人一倍持っていると思う。
 ただし、そのためにどこか遠くに出かけねば、と発想することはない。
違う場所に身を置いた方が自分がどんな人間かが見えやすい、という人
にはいいだろう。それでも、なぜ自分はこういう時にこう反応するのか、
など自身自身の心の奥の奥を覗き込むことは不可欠で、それは、わざわ
ざどこかに出かけていかなくても、できる。人の言葉に触発されても、
できる。
 扁桃腺炎にかかり、薬剤師と喋ったおかげで、どうやら私は耳と喉の
位置関係が子供時代のままらしい、とわかった。物理的な発見であるが、
知らなかった自分を知ったことは間違いない。
 友達が離婚を決意した。
 最後に会ったのは、彼女の夫の転勤でこの地を離れる前だったが、そ
の前もあとも年賀状だけの関係が続いていたのだが、去年ぐらいから頻
繁に電話がかかってくるようになっていて、先日、ついに離婚を前提に
実家に戻ってくるつもりだと報告があった。
 ところが、その二日後に実家に戻ってきてから電話で喋ったら、一週
間も滞在せずに家族の元に戻ると言う。出発の前日に訪れた親戚宅で、
彼女自身の非を激しく責められ、それが素直に彼女の心に響いたらしい。
「えー」
 あれだけ長電話に付き合わされたのに、無に帰すの。私は笑い声で不
満を言う。
「ごめんごめん」
 友は、これからは自分を変える、と言った。
 彼女をそう説得できた人がいたことを、彼女のためによかった、と思
った。
 でも、なぜ、私がその役を担えなかったのだろう。歯に衣着せぬ物言
いが身上の私なのに。
 私は、彼女の話をうんうんと聞いているだけだった。批難せず、彼女
の言い分を是とする態度をとり続けていた。