言葉の未来

 話し言葉は話した尻から消える。だから、誤解が生じやすい。その点、
書き言葉なら大丈夫、と信じるとしたら、そうは問屋が卸さない。
 心屋仁之助が、ブログの中で、なぜ僕のこの文章をそういう風に受け
取れるかなあ、と何度も嘆いているし、ゲッターズ飯田も直近のブログ
の中で、
「(自分の)本の中に書いてあるが
よく読んでいない人が多いので
改めて書きますが」
 と書いていて、要は、多くの人が言葉どおりに理解してくれない、と
言っている。
 もちろん、書き手が、発信する前に、ちゃんと検証しなかったせいで
別の読み方もできることになった場合はあるだろう。日本語は主語を省
く方が多いので、話すように書いたら、行為の主体が誰だかわかりにく
い文章になることがある。書き言葉は、読みくだしてスッと理解できる
ように書くのが大前提。
 しかし、実際に害が大きいのは、読み手側の心理的な偏向による誤読
のような気がしている。
 相手にこういうことを言われたら、心がざわつく、心がきゅっと痛く
なる、あるいは猛烈に喰ってかかりたくなる、ということが反射的に起
こる場合、そうなる原因は自身の過去に見出せるはずだが、その過去を
当の本人が綺麗に忘れ去っていて、単に、そんな風に私を嫌な気分にさ
せるようなことを言う相手が悪いのだ、と断罪して、自身の受け取り方
を正当化する。悪びることなく。なんせ、自分の中に言葉を曲解する要
因があるとは思ってもいないから。
 そういう時は、あなたの言葉を聞いて私はこう感じた、と自分の心の
動きを紐解いて言語化して伝えられたら会話を軌道修正できるが、なぜ
か、その道を行けることは稀だ。
 私は、「月極駐車場」の看板を見ると、幼き日の私を思い出す。
「げっきょく」って何。
「モータープール」然り。
 ここには水を張って泳げるプールがあるのかなあ。
 変だと思っても、誰にも聞けなかった。
 こんなたわいもない事ですらそうなのだから、本当に言いたい事、聞
きたい事は、口にできないのではないか。
 あ、それに。
 相原勇が、曙との過去の婚約破棄の件を、あるテレビ番組で曙と再会
して語り合った際、
「別れたいなら、ちゃんと伝わるように言ってくれなきゃ」
 と笑って言い、私はぞくっとさせられたのだったなあ。
 聞く耳を持たない人には、どう言えばわかってもらえるのだろう。
 私達は、言葉で理解し合いたいのに、反撥に至ったりする。
 あなたも、私も、悪くないのに。
 言葉が完全になってくれる日は来るのだろうか。