「ずるい」と思うな

 居酒屋でバイトしている時に学んだとかで、ガスコンロにこびりつい
た油の取り方を教えてくれた人がいる。
 ふんふんと聞いてから、
「で、その焼き鳥屋では」
 とバイト先の話を聞こうとしたら、
「焼き鳥屋では働いていません」
 えっ・・・。
 どうやら、私は、ガスコンロがこてこてになるのは焼き鳥屋か鰻の蒲
(かば)焼きの店、と勝手に思い込んでいたようで、そのイメージに引
き寄せる方向に彼の言葉をするっと変換して記憶に定着させてしまった
らしい。
 人は、言葉を、その言葉から想起されるイメージや、自己流の意味合
いで理解するとしたら、相手から聞いた言葉を、記憶する時に、聞いた
言葉と違った内容で記憶し、正しく記憶した気になることはありそうだ。
 ああ、私達は皆、言葉を等身大で扱えたらいいのに、と嘆きたくなる
だろうか。
「子供を見ていてね」
 と妻から頼まれた夫が、子供が椅子から落ちても、ただ見ていた、と
答えることを善しとできるか、考えてみるといい。
 言葉を額面どおりにしか読み取れないのは発達障害の特徴の一つで病
気とみなされる。私達は、言葉を扱っているつもりで意味を扱うのが普
通なのだ。
 一ヶ月ほど前、
 ----それから、たとえば、「ずるい」という言葉。
 と書いたあと、横道に逸れ続けて来たが、「ずるい」は私の語感では、
「私も同等に扱ってもらって当然のはずなのに、あの人だけが贔屓され
たり得をするのは看過できない」
 という感情になる。
 自分が頑張ったらコレをもらえるが、何もしていないあの人もソレを
もらえる、という状況を設定すると、大抵の人が、
「そんなのずるい。それなら私はコレをもらわなくていい」
 と反応するという研究結果を知った時、その気持ちはわかる、と思え
たのは、私自身の中にその種(たね)を実感できたからだろう。
 人の脳はそうできているらしい。
 でもなあ。
 相手が「濡れ手に粟」となるのは自分の利益を無にしてでも阻止した
いと考え、力を出せるのに出さないって、どうなんだろう。
 それで損するのが自分一人ならいいけれど、組織の中の誰かを「ずる
い」と思った途端、その組織の進展の足を引っ張る行為を自分自身がす
ることになる。
 小さいうちならいざ知らず、いずれは「ずるい」という感情に振り回
されない理性を手に入れるのが良いように思うのだが。
 ちなみに、猿は、純粋に自分の利益のみに意識が向かい、自分のおか
げでほかの猿が得をしても無関心なんだとか。
 この点だけは、猿の方が優秀な気がする。