「ずるい」に支配されない

 言葉には力が宿っている、と言われる。
 だが、普段、膨大に口から流れ出る言葉の一つ一つにそういう力を実
感することは少なかろう。
 しかし、それまでの無害な言葉の流れの中に「ずるい」という単語が
紛れ込んだ途端、この言葉に宿る強力な負の力が放出される気がする。
 もしこの言葉を言わなければ、そこまで感情が沸騰することはなかっ
たかもしれないのに、この言葉を閃き、口にしたがために、この言葉に
自分自身の感情が操られてしまう。
 言葉を口にした人自身に影響を及ぼすのだから、まさしく「言霊」。
 だが、この言葉は、文字でも結構見かける。
 五月十七日、インターネット上に、
「スーパーで売っている卵の″賞味期限″に隠されたズルい手口」
 という記事の見出しが出た。
 ただ、この時は「えっ」と思った。
 自分以外の人が優遇されるのに嫉妬し、許せなくて、どんな手段でも
取る気がある、と意思表明するのが「ずるい」という単語が持つ本質的
な意味だと理解していたからだ。
 この文章の中では「狡猾」や「姑息」の方がよっぽど的確だろうに、
なんで「ずるい」なんだ。
 そして、六月八日には、
「女子はズルいと小中高男子に蔓延する″女子キライ″症」
 と再び、ずるい、の文字。
 だから、七月九日付けの西日本新聞の朝刊の、福岡県の市営団地で規
則破りが横行している、という記事の中で、
「ルールで決まっているのに、なぜ平然と破れるのか。正直者が不利益
を被るのは許せない」
 という住民の言葉に出くわすと、「ずるい」を回避しようとした姿勢
に好感が持てた。
 しかし、不利益、という言葉に戸惑う。
 なんで、ルールを守らない人間のせいで自分自身が不利益を被る、と
いう構図ができあがるのか。
 駄目なものは駄目。
 それで済む話を、なんで自分自身の権利意識を持ち出して、話をやや
こしくする必要があるんだろう。
 相手が何もしなければ利益も不利益も生じないが、相手が何かをした
ら、それが自分自身の不利益に結びつく、だから許せない、という発想
は、受け身の謙虚さのようで、自分を軽んじるなよ、という自己主張に
満ちている。
 人は他者との関係性で生きているので、他者が気になるのは当然で、
だから「ずるい」という感情が芽生えるのは仕方ないとしても、そう思
ってしまった時は、理由を知性と理性で分析して、そう思ってしまった
心を見極め、この言葉を手放す強さを持てたらいいな、と思う。
 そうすれば、少なくとも、この言葉の奴隷になることは避けられる。