美は邪魔しない

「美は邪魔しない」
 鈴虫寺で聞いた説法の中で、この言葉が一番心に響いた。
 五千匹以上いる鈴虫が鳴く中、
「私が話している今も鈴虫が鳴き続けていますが、鈴虫の声が私の話を
邪魔していますか。していないでしょう」
 とお坊さん。
 でも、美は嫉妬される。
 それだけ人の心を邪魔するということではないのか、と反射的に思っ
たものの、圧倒的な美になれば誰もがただ畏敬の念で見上げるだけにな
ると考えると、納得させられた。
 この時は「美」と大きく書いた紙が掲げられた。
 過去や未来は存在しません。あるのは今この一瞬のみ。だから今この
時に集中すべき、という話の時には「今」と書いた紙。
 人は何も持たずに生まれてくる。しかし、荷物を背負うようになり、
その荷物を降ろさないと新しい物が手に入らなくなくなっても荷物を手
放さないから苦が生まれる、と語る時には「荷」という紙。
 紙は、参拝者の視線を惹きつけるための小道具であった。
 それを言うなら、この鈴虫寺のお地蔵様はわらじを履いていて、願い
を叶えるために皆さんの家まで出向いてくれるので、お願いをする時は
まず住所と名前を言ってください、ちなみに、
「長崎から来た人はいますか」
 一人挙手すると、
「長崎の人だけは名を先に言ってくださいね。名が先」
 勘の悪い人のためにアクセントを変えたら七、八十人ほどいた参拝者
が全員大爆笑して、明らかに笑いを取りに行くべくして錬りに錬られた
小話だったことがわかる。
 お坊さんの思う壺にはまって無邪気に笑ってしまい、ほかにも何度か
同じように笑わされた。
 けど、楽しく笑ったはいいけれど、あとになって、どんな話を聞いた
か思い出せなくなっては本末転倒。そう不安になったが、お地蔵様にお
願いする時は合掌した手の中にお守りを持ってください、一日に最低一
回は合掌するといいです、と言われたことは思い出せるのに、肝腎の、
なぜ合掌が良いのかの理由は綺麗に忘れ去っていることを思うと、笑っ
て聞いた方がまだ記憶に残りやすいかもしれない。
 二、三十分はあっという間だったが、話が盛りだくさんだったことは
お坊さんもわかっているのだろう。最後に、
「今日は、これだけは覚えて帰ってください」
 と言って「今」「美」「荷」の紙を三枚並べて掲げ、
「身近にあるから忘れないでしょう」
 一拍おいて、
「コンビニです」
 おかげで今も思い出せる次第。
 合掌については、願いが叶った御礼参りで次回また説法を聞く際に、
ちゃんと確かめよう。