人の子がくれる幸せ

 友達の小学三年生の息子が、唐突に、保育園にいた頃の話をし始めた。
 その子が悪いことをすると、毎回、一人の保育士が彼を部屋の隅に連
れてゆき、おでこを指でパチンと弾き、それから、
「もう、先生の所に行っていいから」
 と放免したそうな。
「そういう時、ほかの先生はどうしてたん」
「わからん。ほかの先生が見てへん所で、いつもされた」
「おかあさんには言ったん」
「言ったけど、おかあさんは何も言わへんだ」
 私は大人なので、これだけの会話から、いろいろ推察する。
 ほかの保育士は本当に知らなかったのだろうか。知っていて、見て見
ぬ振りをしていたと考えるほうが妥当ではないか、とか、彼の母親は、
息子の訴えに思うところはあっただろうが、息子がその保育園に通えな
くなったら困るから目をつぶったのではなか、というようなことだ。
 それにしても、その子とは割とよく会う方かもしれないけれど、初め
て、そんな打ち明け話をされて、私は驚いた。
 子供の記録力。
 子供が、さらにもっと幼い頃のことをちゃんと覚えている。もちろん、
強く感情が揺さぶられた事だけが脳裏に刻まれるんだろうけど。
 それに、しょっちゅう思い出しているわけではないだろう。何かの折
に、ふと思い出す。
 ただ、私は、その時、彼の弟と話をしている最中で、彼が横割りする
ように私に話しかけてきたと思ったら、そういう内容だったので、その
時に限って、なぜ、その記憶が蘇り、かつ私に話をしたくなったのかは
不思議で、でも、単純に嬉しかった。
 そういうことを話してもいい相手として選ばれたわけだから。
 ところで、この子は、母親がいない時は、当然みたいに手を伸ばして
私と手を繋いで歩いたが、先日、彼と弟と私で道を歩いている時、いつ
ものように私に手を伸ばしてから、
「あ、おかしい」
 と呟き、手をひっこめ、弟と手を繋いだ。
 そうか。ついに私は彼の母親代わりを卒業することになったんだなあ。
 それにしても、幼い子達が、かくも無防備だ、というのは、長きにわ
たり大人の中だけで生きていると知ることがない知識で、初めて我が身
で体験した時は、おろおろさせられたものだった。
 今は慣れたが、私が畳に座っていたら、三、四歳の子が、私の横に母
親がいるのに私の膝の上によじ登ってきて、その子と初めて会ってすぐ
だったから、やっぱり呆気にとられたのだったなあ。
 子供は人の子だが、人類の子でもある、と実感させてもらえるのは、
幸せな驚きかもしれない。