延命治療

 前回、ニホンが高齢化一位を保持する国だとフランスのテレビが予想し
たのは、医療の恩恵を受けられる人がそれだけ多いということだろう、と
書いたら、三日後の二十日にフランスで救急病院の大規模なストがあった。
 私立以外の救急病院の約十四パーセントの病院が参加。
 仕事量が多い、ベッド数が足りない、満足のゆく医療ができない・・・。
 ニホンの過労死レベルの医者達の働きを思うと、何を甘いことを、と言
いたくなるが、今年に入って一万五千人の患者が病院の廊下で担架に寝た
まま一晩を過ごし、この一ヶ月間に三人の患者がそうして待っているうち
に死亡した、という現実を知ると、フランスは観光で訪れるだけでいい気
がしてきた。
 けど、救急病院ってそんなに患者が押し寄せる場所だっけ。
 以前、知人のフランス人と話した時、地方のせいかもしれないが、眼科
も予約が三ヶ月待ち、と聞き、緊急だったらと問うと、そういう時は救急
病院、と言われ、コンビニのように病院通いして当然と発想しない国民性
を尊敬したものだったが、そのせいでこういうことになっているのであっ
たか。
 病院は、行けば診てくれる。
 救急車で運ばれて、担架の上で放置されることなどあり得ないニホン。
 なんというありがたさよ。
 しかし、陰の側面もある。
 医療の進歩のおかげで命だけは助けてもらえる確率が高まったが、それ
以上の回復が見込めない時。特に老人の場合だが、その状態で延々と入院
が続くことになると、家族は疲弊するし、国の医療費は跳ね上がる、とい
うのが大きな声では言えないけれど、ニホンの問題になっている。
 口から物を食べられなくなったら、そうやって人は枯れ、穏やかに死ん
でゆくのに、胃に穴を開けてまで栄養を与える胃瘻は本当に本人のために
なるのか。
 人工呼吸器を一度付けたら外すのは殺人になるから、元気なうちにそう
なった時のことを家族で話し合っておいた方がいい。
 著書の中で、鼻から管で胃や腸に栄養を注入する経管栄養は、自分自身
はされたくない、と書いた医者がいる。
 これらの問題提起のすべてに共感。
 そこまでして生きなくてもいい。
 ところが、身内が救急車で運ばれた。
 人工呼吸器で一命を取り留めてもらい、その急性期病院から移った病院
で経管栄養になったと聞くと、「延命処置」という言葉が否定的に思い浮
かんだ。
 だが、見舞いに行って、考えが揺らいだ。
 それでも生きてくれている。
 それは感謝だから。