延命治療 2

 救急車を呼んでくれ、と自ら求め、人工呼吸器のおかげで一命を取り留
めたのは、親戚のおじだ。
 肺気腫と診断されても煙草をやめず、酸素濃縮装置から酸素を吸入する
鼻チューブ、カニューラのお世話になっていたが、それでも息苦しさに襲
われたらしい。
 容態が安定して、慢性期病院に移された。
 余命の目安は約一年。
 そう聞いたからだろう。家からそう遠くないので、おばは毎日、いとこ
達も時間は短くてもなるべく毎日、おじの見舞いに行っている。
 しかし、半年以上経ち、みなの表情に疲労が見える。
 おじは転院後三ヶ月ほどで鼻から管で栄養を補給する経管栄養になった。
 鼻の中が気持ち悪くて管を抜こうとするのでミトンで拘束される夜もあ
ったとか。
 拘束・・・。
 まるで罪人みたいな扱い。可哀想だなあ。
 その後、院長から胃瘻の話があり、それを家族が伝えた途端、おじは顔
がひきつり、体調が悪化。肺炎にかかったりして、その話が保留がなって
いるうちに胃瘻は無理な状況となり、今は太ももからの静脈栄養法になっ
ている。
 私は、人工呼吸器、経管栄養、静脈栄養、胃瘻は延命治療の領域に入る、
と理解していたので、救急車で運ばれて人工呼吸器、と聞いた時点で、あ
あ、その道に足を踏み入れたんだと思い、経管栄養と聞いてもそうだった
が、それをしないとおじは死ぬわけで、胃瘻と聞いても、もう動じない。
むしろ、この言葉に強く拒否反応を示したというおじを不思議に思った。
 おじは、胃瘻に関してだけ、なんとなく聞き知っていることがあり、胃
瘻になったらもうお仕舞い、と思い込んでいるのかもしれない。
 おじの体調はゆるやかに下降線をたどっているし、四六時中苦しそう、
痛そうなのは傍目にもわかる。
 そういうおじを見守るしかないことが辛くて、おばは、ふと、あれでよ
かったのか、と救急車で運ばれた時のことを思い返すことがあると言う。
 おじは、滅多に言葉を発しない。それに喋っても、聞き取れない話し方
になることが多い。でも、ベッドの周りで交わされる私達の会話はちゃん
と理解している。
 頭脳の明晰さは持ち続けているのだ。
 そういう人の場合、延命処置であっても、その治療は為されるべきだ、
と頭で理解していた時とは正反対のことを思ってしまう今の私。
 だって、意識ははっきりしているのだ。
 しかし、と言うことは、意識がなくなったら延命治療は無用、という理
屈になっていいのだろうか。