女人禁制の意義

 突然倒れた人が意識も呼吸もない時は、心停止と見て、胸骨圧迫と人
工呼吸で心肺蘇生を行なう。AEDが手元に届いてもAEDが電気ショ
ックの必要なしと判断したら、救急車が到着するまで胸骨圧迫と人工呼
吸を続ける、というのが正しい手順になるらしい。
 救命措置である。延命措置ではない。
 一刻を争う。
 そういう場面が、今週四日、京都府舞鶴市の大相撲春巡業の土俵上で
出現した。
 多々見良三市長が挨拶の途中に倒れたのだ。
 市長のまわりで無駄にオロオロするばかりの男達をかき分け、胸骨圧
迫を始めた女性は看護師だったそうな。
 後日、その動画を見て、日本救急医学会の大房幸浩氏が、彼女の初期
対応は完璧だった、と自身のFacebookに書いた。
 だが、その措置の最中、行司が女は土俵を降りろとアナウンスを連呼
していた。
 慌ててしまったせいらしい、とひとごとみたいな発言をした八角理事
長は、なんでその人が慌てたかを考えたのかなあ。
 その行司は、観客が女人禁制のことを言うのを耳にし、組織の規律に
沿った言動をしなければ、と慌てたのではないか。
 だから、その人を責めづらい。
 すわ、と言う時ですら、組織の大義名分を優先して自身の信念で事に
当たれないニホン人の自主性のなさを見せつけられたなあ、と思うだけ
である。
 私は、土俵上の女人禁制は、それが伝統なら別にいいんじゃないの、
と思っていた。たいしたことでもないんだし。
 しかし、この一件で、かつては女人禁制だった高野山を思ったりして、
いや、そういう素直さは思考停止だ、と気づかされた。
 土俵上の女人禁制が理に叶っているのなら、その理を相撲協会はちゃ
んと表明しなくては。
 でないと、力士の暴力事件が起こっているのは土俵外だが、女達はそ
ういうことを見聞きしても口出しするな、ほかのもろもろの事も、と威
圧するために女人禁制が象徴的に採用されているんだ、と考えてしまう。
 過去のいつかの時点では、それはその時代にふさわしい決断だった。
 だが、時代が変われば、環境も人の考え方も変わる。
 まだ今の時代にも見合った内容かを常に検証してこそ、進歩できる。
 それをしたくないのは、今の状況ゆえに高位に就けている面々の、我
が身かわいさかも。
 からだは男で心は女、あるいは性転換して男になった人が、土俵に上
がって職務を果たしてから、自身の真実を語ってくれたら愉快だろうな。
 そうなったら、相撲業界よ、どうする。