羮に懲りて膾を吹く

 時間があっという間に過ぎる、という感覚になることがある。
 一日、二十四時間に限っても、そのあいだに膨大に時が流れていると実
感させられるのが、この季節だ。
 ほかの所の桜が咲いても、家の前の桜は枯れ木の状態で、もう寿命なの
かと思っていたら、朝、起きたら満開。いつの間にそうなったのだろうと
感動させられる。
 ということは、植物の取り扱いを誤り、たった二十四時間、不適切な環
境に放置しただけでも、悪影響は計り知れないのだろう。一日ぐらいは耐
えてくれても、その状況が続けば、植物へのいじめや拷問になる。
 私のポトス。
 長年ちゃんと育てられていたのに、去年の夏、枯らしてしまった。
 あまりに暑くて昼間もほぼカーテンを閉めきっていたせいか。蛍光灯で
光合成してくれると信じたんだけど。
 秋に花屋で見かけて、蔓がいくつも伸びている吊せる鉢入りのポトスを
買った。
 もっと小さい掌サイズのを買い、鉢に植え替えて、成長したら、私の手
で蔓を好みの形にまとめることを夢見たが、却下したのだ。が、そもそも、
私がポトスにお金を出す日が来るなんて。そこまで気力が失せていた。
 丸い木の椅子の上に置き、毎朝、レースのカーテンも開け、直射日光を
当てる。
 ほどなく、葉にナイフで切ったような亀裂が表われた。
 インターネットで調べたら、善意からとおぼしき、でも説得力を欠く意
見が大多数の中、強い日差しを浴びるとそうなると説明するページに出合
った。
 プロの情報発信だったが、それでも、それが真実だと私自身が直感した
のである。
 人は、自分が正しいと思ったことを正しいと信じるということだ。
 で、このポトス。
 今度は、葉の端が茶色く縮れたのがあちこちに出現した。
 ドラセナも。
 それを見て、私はようやく鉢の置き場所を変え、直射日光に当てないよ
うにした。
 新たに生まれた葉はどれも綺麗。
 強い直射日光がいけないと思ったのに、植物の声なき訴えをさらにしば
らく無視した私。
 過去の経験に学ぶと言うけれど、こうしたらこうなった、という体験が
激しく心の痛みになった場合、次に挑戦する時に適切なところで止められ
ず、それを超えて反対の極みまで行ってしまうこともある、ということだ
ろうか。
 自分で自分を制御できない。
 思い込みや頑迷さは、こういう背景から生まれるのかも。
 ちなみに、時間の無常は人間にも等しく及ぶ。
 冬の怠惰のせいか、今、春のパンツがはけない私。