言霊(ことだま)はある

 Could you pass me the red one?
 もし、これが英訳の答えであったなら、red oneのもとの日本語は「赤
いやつ」だったはず。
 ところが、この言葉が私の口から出てくるたび、行きつけの医者から
「汚いからやめなさい」と注意を受ける。
 そう言えば、以前は「の」か「のん」だったよなあ。「奴」は語源を
考えると確かにいただけない。でも、身についてしまった言葉を遣わな
いよう意識するのは、真夏に「“暑い”と言ったら罰金ゲーム」をして
も効果がないようなもの。至難の業なのだ。
 知人のフランス人に、私が何か言うと、「もちろん」と答える者がい
た。そう言われると、私はむっとする。どうしてだろうと考えて、
「“もちろん”というのは、言うまでもなく自明の理だと言うことよね。
でも、あなたにとって自明の理でも、私にとってはそうでないかもしれ
ない。なのに、当り前、と敢えて口にする気持ちの裏には、そんなわか
りきったこともわからないのかと私を小馬鹿にする気持ちが隠れている
んじゃなくって?」と言ってみた。
 私の感じ方は当たっていないかもしれない。しかし、彼からこの言葉
が消えたし、このことにより私達の関係がぎくしゃくすることもなかっ
たので、聞く耳を持ってくれた彼には感謝である。
 今の私は「とりあえず」と格闘中。
 なぜって、この言葉を聞くと、「今すぐは最善策を思いつかないので、
一時しのぎにこうしておこう」と言っているように聞こえるのだ。
 だが、「とりあえず」で事に対処していると、さっさと決断できるこ
ともそうせず、ぐずぐず引き延ばす癖がつきそうだ。それよりは、少し
時間を割くだけで、その場で片を付けられるなら、そうしたいし、もっ
と大がかりなことでも、初めからあるべき手段を模索して実行したい。
 どうして、この言葉が私の口癖になってしまったのだろう。
 と思ったら、机が近い相手がやたらとこの言葉を遣う人だった。
 無意識なる感化。
 でも、この口癖では私が幸せになれないと思うので、私の辞書から抹
殺しよう。するように努力しよう。