なんで物には寿命があるの。
修理という事態に遭遇すると、天から降ってきた災難のように感じて、
恨めしくなる。
買う時、そんなことは起こらない、と思ってしまう甘さがいけないの
であったか。
先日、台所の水道の蛇口が故障した。
実は、引っ越してきた時から、左右に大きく首が回るはずの蛇口が、
真ん中から右側へは動かなかった。でも、そのうち動くだろうと悠長に
待っていたら、結局、まともになるどころか、右にも左にも動かなくな
った。
「入居した時から右半分へは動かなかったんです」
やっぱり締め具合が半端じゃなかったらしく、取りはずすのに四苦八
苦している作業員に訴えてみるけれど、入居後三年間、備品の初期不良
の無償サービスがあったのに、蛇口のことは申請せず、今になって無料
修理は、そりゃあ無理か・・・。
で、私は学びました。のんびり構えるにもほどがある。
一方、トイレも、タンクの中の水がいつまでも止まらないことに、か
なり前から気がついていた。なのに、一定量まで水が溜まるまではそう
なる、と聞き囓った知識があったものだから、それで普通と思い込もう
としていた----と今では思う。
母から、下の階に水が漏れても困るので早く修理を頼んでよ、と言わ
れたものの、時は夏。風呂場と並んで、トイレは、家の中で熱中症がも
っとも発生しやすい場所。修理の人の身になって、先延ばしにした。
だが、その間ずっと、無駄に水道代が出ていたわけで、修理代の発生
を遅らせたメリットは何もない。
物は、人を育てるのと違う。おかしくなったら自発的に改善したりし
ない、と観念して、即刻、対処すべし。
トイレの便器の蓋が、時折、自動で閉まらないのも、放っておいたら、
「時折」は「百パーセント」となるであろう。
ただ、これに関しては、手動でいいじゃない、と私はさっぱりした気
分で思った。
ところが、母の反対にあって、断念。
行きすぎた便利さに慣れるのは、心身の退化になると思うんだけどな
あ。
それに、生きるのに不可欠、にもかかわらず、素人に分解修理できな
い物ばかりが増えるのは、なんか本能的に不安になるのよねえ。
だが、まあ、それが、いわゆる現代の快適環境だとしよう。
トイレの便座暖房や、室内が冷え込んだときの冷込み防止など、寒さ
対策は万全でも、夏の熱中症対策ゼロというのは、それでいいのかなあ。
便秘に無縁で、トイレ滞在時間がすこぶる短い私は、別にかまいませ
んけど。