安心第一、便利は二番

 大阪市新型コロナウイルスの大規模接種会場でのワクチン接種予約の
電話受付をスタートした途端に一気に予約数が増え、その事実を受けて、
松井市長は、六十五歳以上の高齢者はやはりインターネットの予約は不慣
れな人が多い、と述べたらしい。
 そんなの当たり前、と私は思う。
 スマホから予約する時は、
「メールが受信できない場合がございます。指定受信設定をされている場
合は、当市のドメインを受信可能に設定してください」
 と、注意喚起が載っている。
 対象年齢の叔母は対処不能
 近くの携帯ショップに行ってやってもらえばと進言するも、叔母は及び
腰。
 スマホを使ってはいても、こういう人が大半なのだろう。
 だいたい、歳を取ったら、目が悪くなり、指が思ったように動かなくな
ったりする。
 それに、説明されてもわからない時は知ったかぶりしてはいけないと、
オレオレ詐欺の報道などからしっかり学んで、わからないことは怖い、と
いう反応になる。
 怖いから近寄らない。触らない。
 ある意味、正当な自己防衛本能だ。
 それを、
「やっぱり高齢者はインターネットに弱い」
 と断罪するのはどうなんだろう。
 今、小学校の家庭訪問の是非が取り沙汰されているが、これが始まった
明治時代は、子が学校で学ぶ意義を親にわかってもらう必要があったり、
修得が標準に満たない子供達は、その理由が家庭環境にあるのではないか
と家庭を訪問することが有用だった。
 プリント配布は、字が読めない親には無意味。
 時代が変わり、今、家庭訪問は単なる慣習になっているだけで、本当は
もっと早くに修正するか終了していればよかったのだ。
 それをせず、硬直の極みが来て、この行事はそもそも不要だったのだと
今の視点で論じるとしたら、当たらないのである。
 その時代を生きた人達への視点が抜けると、判断を間違う。
 それに比べれば、同時代を生きている高齢者のことは、温かい眼差しで
観察しさえすれば、見えてくる。
 今の自分のまま、その人達と同じ年齢になるだけだと想像するのは、の
んきなのだ。
 フランス人の友達が来日した際、トイレの水洗ボタンがわからなくて、
扉を開けて私に助けを乞おうとした。
 日本人の私も、出かけた先のトイレで、毎回まごつかされる。
 たかがトイレ。
 でも、自力でボタンを探せているうちは若いと自認していればいいのか。
 違う気はするんだけど。
 頭は、もっと別のことに使わせてほしい。