被災者への共感

 私は、部屋に鈴を六つもぶら下げている。
 ドアノブや椅子の手すりに南部鉄の風鈴、姫路の明珍火鉢の鈴とか、
東南アジアの鈴とか。
 鈴が好きだからだが、それらが十一日の午後、一斉に鳴り出し、母は
私がいるのかと部屋を覗くも、私はいない。
 東北地方太平洋沖地震が発生した十四時四十六分に少し遅れる時刻で
あったのだろう。
 もっとも、母は地震を体感せず、外出中の私も同様。
 阪神淡路大震災の時のいやな揺れ方は、今もからだが覚えている。も
う一度それを経験することにならなくて助かった、と身勝手な安心をし
て、家に帰ってからはテレビ漬け。
 初めは、一体何が起こったのか、正確な情報を知りたかったから。
 が、続く土日も、なんか気になってテレビを観ずにいられない。パソ
コンに向かう時も、NHK総合テレビストリーミングを立ち上げておく。
 次々と新しい情報が入ってくるから。
 そういう大義名分はある。
 けど、それがわかったからってどうよ、と思うと、私の関心は、どこ
かの時点で傍観者ゆえのお気楽な興味本位にすり替わったのではないか
という困惑もあった。
 フランスのニュース番組が、地震直後に津波アメリカの西海岸まで
届きそうだということで、ロサンゼルスのフランス人特派員と中継で話
をした際、アメリカの報道状況を問われて、特派員が、
「日本の地震報道一色です。これはフィクションではないから」
 と答えたのを聞くと、そのあまりに率直な意見に鼻白んだものの、私
自身はと言えば、地震のあとに海に発生した巨大な渦巻きに一艘の船が
翻弄されている映像をフランスのニュース番組で観て、自然の恐ろしさ
より自然の美しさに見とれたし、BBCニュースのホームページでアク
セス上位の映像の中にそれを見つけると、また観てしまったし、地震
最初に掲載された十二日の新聞の朝刊と夕刊は、いつか貴重な資料にな
るかもと二部ずつ手に入れたのである。
 ちょっと後ろめたい。
 でも、友が、ニュースを観ていると日本中一体感があって、自分もそ
こに参加している感じになると言うのを聞くと、心が少し軽くなった。
 別の友達が、ダンナが「換えていいか」と言ってお笑い番組の録画を
観るのだが、その気持ちがわからないと言うと、私は頷き、
「それはあかんやろ」
 と真剣に思った。
 言っちゃ悪いけど、そんなダンナは不気味だよ。
 無関心は最悪。
 情報に興味を持つのは、共感に繋がる。
 そう確信して、今、私は堂々とテレビ漬け。