善は急げ

 私は約束の時間に遅れないし、メールにはすぐに返事をする。
 そうする方がゆったりした気分になれるからだ。
 だが、嫌々、義務ですると感じる時は、無理はやめよう、と決めた。
 先日、あと数メートルで建物に着く、という所で、ケータイが鳴った。
発信者名を見て、電話には出ず、足を速めてドアを開けると、ケータイ
を耳に当てつつ私を振り返る発信者。
「あ、菊さんはいつも早めに来るから、時間を間違えたのかと思ったん
だ」
 私は一台電車に乗り遅れて時間ぎりぎりになっただけだったが、仮に
大変な事態に巻き込まれていたような場合、こんな風にすぐに気遣って
もらえるのは、私にとって深き感謝となることもあろう。
 この人はいつもこう行動する、と認識してもらっていてこその特典で
ある。ただ、こういう人、と決めつけられるのが鬱陶しい時もあるんだ
けど。
 ところで別の日。
 友達から、今月は会おうね、直近なら二日後は仕事が休みです、とメ
ールが来たが、私はわざと放置した。二日後は都合がつかなかったのだ。
普通なら、そう書いて返信する。でも、その律儀さをやめた。友は、私
の無回答から、二日後以外の日を特定して、またメールし直してくれる
だろう。
 が、梨のつぶて。
 一方、私も、都合がつく日がなくて、メールできない。
 それでも、二週間後の土曜日は彼女の母親の誕生日だったので、それ
に絡めて、
「おかあさんに私からのおめでとうを伝えておいてください。ちなみに、
いつなら会えそうですか」
 と朝、メールを送った。
 すると、驚きの返答が。
 彼女は私に新たにメールを送ったが、やっぱり私から返事がなく、私
らしくないなあ、といぶかっていたところだとか。じゃあ、今夜か、来
週の土曜の昼はいかが。
 うーん。今夜は急すぎるし、週末もまだ寒そうだしなあ。
 そんな逃げ腰のメールを、即、返信。
 が、クリックした直後、私は、そんな出不精なことでどうする、とハ
ッと目が覚めた。
 善は急げと言うではないか。
 来週の土曜に会おうとメールを送ったら、電話がかかってきて、今日
の昼なら、父親が母親を迎えに行くついでに私達を送ってもいいと言っ
ている、レストランの予約も取れる、と言う。
 運命の「行け〜」という声援だと受け止め、三十分で支度を整え、家
を出た。
 その日に会えてよかった。
 独身の彼女は、ほどなく妊娠に気づいて、結婚へと忙しい日々が始ま
り、私と会うどころではなくなったのだ。
 さして不都合がないなら、善は急げ。
 この世の大原則とみた。