年賀状をやめない理由

 お年玉付き年賀状はがきが、一枚、当選した。
 お年玉切手シート。
 間違って購入したインクジェット紙の中に当たりが混じっていそうで、
当選番号発表まで手元に置いていたら、予想どおりになったのだ。
 いつ年賀状をやめるか。
 毎年、年賀状の賛否の新聞投稿を読むが、腹が決まらず、惰性で送っ
ていた。
 でも、私は送りたいから送ろう、と今年初めて心が決まった。年賀状
に反対の意見になびけない自分自身を見極められたのだ。
 型式的な年賀状をもらっても嬉しくもない、と言う人は、自分が十把
一絡げ(じっぱひとからげ)の中の一人にされている、と感じるのが気
に入らないだけなのではないか。
 ひとの子供の写真に興味はない、と言う人は、親ばかだとか、不妊
の人が受け取ったらどう思うか、と見知らぬ誰かを引き合いに出してま
で罪悪感をもたせようとするけれど、やっぱり、単に自分がそういう幸
せそうな写真を見ると心がざわつき嫌な気分になるということではない
のか。
「自分」という意識が強すぎて、相手に優しくない。
 全員に同じ年賀状を送るのだとしても、その図柄、その文章、あるい
はそういう写真を選んだところに、相手のメッセージが読み取れるから、
それをただ楽しめばいいだろうに。
 それに、形式的な付き合いを悪のように言うけれど、濃厚すぎる人間
関係しかない人生って、しんどいと思うよ。
 その外側を遠巻きに優しく彩ってくれる、野の花のような人達。
 しばらく頻繁に会っていたけど二年ほど前から疎遠になっていた友が
いる。メールの時代になってから知り合ったので、年賀状もメール。
 メールだと、年賀状と違って、個人的に深く突っ込んだことも書かな
いと送信ボタンをクリックできない私は、元日はメール作成に時間を取
られて好きではないのだが、とにかく、彼女とは、その後のメールのや
り取りで、二年ぶりで会うことになった。冥王星ぐらいまで遠ざかって
いた彼女が、大気圏を突入して、再度、姿を現わしたのだ。
 年賀状が途絶えていたら不可能なこと。
 ただ、いつも年賀状が一月三日や七日にしか来ない相手は、私から届
くから仕方なく送り返してくれるのかも、と思い、今年は送らなかった。
 年賀状の自然消滅への第一歩である。
 ところが、その全員から元日に年賀状が到着。
 去年来なかった相手からも来たし、数年前に途絶えた相手からも来た
し。
 何が起こったんだ・・・。
 年賀状を続けよ、という天からのサインだと受け止めることにした。