まず脳が思いつく

 個人的に英語を教えている小学六年の女の子が、
「心ってどこにあるか知ってる?」
と私に言ってから、自分自身の胸を指し、
「ココとちがう」。
 頭を指して「ココにあるんやで」。
 心に感じる、と言うように、心は心臓にあると考えるのがこれまでの
常識だったが、実際に感情を認識しているのは脳だというのが現代の視
点。
 感激した先生が授業で話され、生徒もまた感激したのであろう。
 だが、
「ふーん・・・」
 私は限りなく「うむむ」と考え込む擬音にも似た曖昧な相槌を打つば
かり。
 そうなんだろうけど、そうかなあ、とも思う。
 すると、脳研究者の池谷祐二の『単純な脳、複雑な「私」』の中で、
「間違ってはいないものの、必ずしもそうとは言い切れない側面もある」
という意見に遭遇。
 脳機能が停止すれば心は消える。この理屈が正しいなら、心臓を停止
させても心が消えるから「心は心臓にこそ宿る」と主張していいことに
なり、これだけでも、心は脳から生まれると早急に解釈するのは危険だ
とわかるはず、と簡潔に反証してくれて、さすがその道の第一人者。
 いや、それぐらい普通に考えつけるべきであったか。
 近頃、高度な専門知識を一般人にわかりやすく語ってくれる専門家が
増えてきたような気がする。
 分子生物学者の福岡伸一とか。
 福岡も、池谷も、文章がいい。
 福岡の文章は、時にかなり詩的に傾いたりもする。
 案の定、彼らの野外活動は、専門家仲間に、うっすら、あるいははっ
きりと批難の目で見られているらしい。
 持って回った難解な言葉しか遣えない人達のやっかみじゃないの、と
一般人の目には映ってしまうのだが。
 しかし、仕事の関係者から疎まれるのが一番生きづらいことを思うと、
にもかかわらず天上の思想を地上の人達に漏れ伝えずにいられない彼ら
のような存在を、奇特に思う。
 自分の意志に関係なく、特殊な任務を帯びてしまった人達。
 もっとも、自分の自由意志で決定したつもりが、実はまず脳が準備し、
そのあと実行に移しているだけで、私達の自由意志とは、脳が準備した
行動を実行に移さない否定意志としてしか発揮できないのが脳の真実だ
というから、感謝すべきは、天上と地上のパイプ役になることを否定し
ないでいてくれることになりそうではある。
 そこまで強い、止むに止まれぬ思いに囚われてくれて、ありがとう。
 今日の私は、脳に思い浮かんだままを否定せずに文章にしたら、こう
いう内容になった。