「ずるい!」からの脱出法

 自分自身が経験しなくても、そういう時にはそう心が動くだろうなあ、
と想像させられることはある。
 つらい子供時代を強いられた女性が、結婚して、自分の子供に同じ思
いを味わせたくない、とお日様のような愛情を降り注ぐ。
 安心しきって笑い、甘える我が子。
 いとおしい。
 ところが、ふと、そんな我が子が猛烈に憎らしくなる。
 こんな感情が吹き上げてくる私って悪い母親なのでしょうか・・・。
 そんなことはない。
 一時的に「ずるい」という感情に支配されただけなのだ。
 愛されて当然そうな我が子。
 でも私にとっては当然ではなかった、と自分の幼き日々が蘇り、「そ
んなのずるい」と過去の自分が反乱するのだろう。
 こういう因果関係もなく、単に目の前の誰かが良い思いをすることが
気に喰わなくて「ずるい」と感じる場合もあるが、どちらも根は同じだ
と思う。
「ずるい」とは、自分が大事にされていない、自分が誰よりも一番大事
にされていないと感じることからくる不足の感情であって、そう感じて
いる主体が過去の自分か今の自分かはどうでもいいことになるからだ。
 それにしても、人は、どんな時でも自分が一番大事にされないと気が
済まない生き物なんだなあ。
 ただ、「ずるい」という感情に支配されて怒り狂っても、相手はケロ
ッとしたままで、完全に独り相撲。疲れる。
 もうこの感情を卒業したい、と思ったら、どうすればいい。
「ずるい」と感じる場面においては確かに相手だけが優遇されることに
なるが、自分は、ほかの時、ほかの場面でもっと優遇されていた、甘や
かされていた、という事実を思い出してみたらいいのではないか。目の
前の勝負だけで勝とうとしない、ということだ。
 新聞に、人に優しくされて、まだニホンも捨てたものではないと思っ
た、というような読者投稿が載ることがあるが、冷静に考えて、その人
が困った時に、その場にいた人全員が一斉にその人に手を差し伸べたは
ずはない。大多数が無視する中にたった一人、親切な人がいた。投稿者
は感激のあまり、「人は優しい」と結論。
 人がどれほど主観的かがわかろうというものである。
 ということは、私達は、自分が大事にされた時は、傲慢にも当たり前
だとして軽く受け止め、さっさと忘れ去る、と思った方がいい。
 その、大事にされた事、誰かに親切にしてもらった事をしっかり思い
出して、数え上げる。
 すると、目の前で誰かが優遇されても、
「まあいいか、今回は君の番」
 と余裕の眼差しになれるのではないか。