掃除機を手放す

 自分のやり方は正統ではないから勝手な自己流、と縮こまっていたら、
それでいいじゃん、とその道の人があっけあらかんと言ってくれて、自
分の頭の硬さを思い知らされることがある。
 料理番組で料理人が、
「今のいわしは鮮度がいいまま売り場に並ぶので、ショウガはなくても
いい」
 と言った時がそうだった。
 母親がショウガですら「辛い」と言うので、我が家のいわしの生姜煮
はショウガ抜き。とても人には言えない、と思っていたのだが。
 菊乃井の村田シェフが、大根が煮えたかどうか、竹串を刺して調べる
と言われるけれど、
「そんなん、見たらわかるやん」
 と言ってのけた時も、そう。
 けたけた笑えた。
 もちろん、自分では考えつかない意見に開眼させられる場合もある。
『わたしのウチには、なんにもない。2』の中の「また使うかもしれな
いし・・・と思ってとっておきたくなるが、人はいろいろなものを見た
り触れたりして日々「成長」するから、思考や好みも変化していくので、
必ずしも未来の自分に必要かはわからない」という一文がそうだった。
 この春の異常な長雨のせいか、一年分の靴がすぐに履ける状態で置い
てある靴箱の中のサンダルにカビが生えた。
 少し前に買ったばかりで、そんなに履いていないのに。
 が、絵入りで作っている購入カードを見たら、四年前の四月に買った
ようで、もう四年も経っているのか。
 じゃあ、履き倒したと満足できるほど履いていないことが問題なんだ
な。間違った物を買ったのだ。
 そう反省して、捨てた。
 使いたいかばんを取り出したつもりが、袋を開けたら、別のが出てき
た。これにもうっすらカビ。
 革の表面を拭くと、取れた。
 私は悩む。
 これを持つと、昭和時代の良家の奥さんっぽいイメージになる。十一
年前に購入したようだが、物が良いだけに悩む。
 一応、袋から出して、日々、風に当てた。
 それをしょっちゅう見ているあいだに、捨てる決心がついた。今の私
の美意識に合わない。
 ところで、私が前々から捨てたかったのは掃除機だ。
 紙のシートで床面を掃除し始めて以降、ほとんど出番がない。でも、
万一のためにいる、と母は反対するだろうな。
 独り暮らしを始める姪っ子に、あげてもいいよと言ってしまってから
も、母に言えない。
 ついに意を決して言った。
 母は、
「ついでに扇風機もあげたら」
 へっ。
 神様でもないのに人の心がわかった気になる愚かしさに改めて気づか
された。
 それにしても、母も、物より空間、という価値に目覚めたのかなあ。