からだの声を聴け

 十二日はアメリカに住む友の誕生日だったが、おめでとうメールを送
れなかった。
 眠っていたのだ。
 三日三晩。
 起きるのは、トイレに行く時、そして、台所でご飯あるいは母親が炊
いてくれたおかゆに塩昆布をのせたのを一口二口サッとついばみ、寝る
ためのエネルギーを補給する時だけ。
 歯を磨かない。顔を洗わない。風呂に入らない。
 ひたすら眠り続ける。
 二年前、アレルギー科の医者に辿り着く直前も、経験した。
 今回はちゃんと薬をのんでいたのになあ。
 実は、眠り続けるのは、そうしんどいことではない。
 時間が無駄に過ぎるだけで、寝過ぎて背中や腰が痛い、なんてことも
ない。
 ただ、このあとがつらい。
 普通に昼間起きられるようになると、夜ベッドの中で咳痰が出て、眠
れないのである。ようやく寝付けても、一、二時間後に咳痰に襲われ、
目が覚める。
 起きていても同じ症状。
 一気に体力消耗モードに突入なのだ。
 そうかあ。
 私の免疫力は、英語を個人的に教えている小学生の男兄弟の部屋に耐
えられないほど落ちていたんだなあ。
 二段ベッドのある彼らの部屋は、一年近く、雨戸を閉めたまま、ガラ
ス戸も閉めたまま。そして、なんでもかんでも床にばらまく彼らの行為
の結果、フローリングは足の踏み場もない。
 勉強机の上もほぼ同様だが、椅子は、一つは完全に崩壊してジャング
ルジムの一部と化しており、残った方はねじがはずれていて、座ってい
る最中、彼らが、
「うわっ」
 何度も椅子から放り出されそうになる。
 私は、当然、立って教えている。
 働く母親は、部屋の管理は彼らに任せ、私は、男の子ってこうなんだ、
と中立の精神で受け止めていたが、今週から、玄関脇の畳の部屋を使わ
せてもらうことにした。
 ぜんそく持ち特有の喉の鳴らせ方がたまに起こるが、見るからに具合
が悪そうな時期は過ぎていたので、彼らの母親には、大げさなことを言
っている、と思われたかもしれない。
 私は、自分を大切にしない人が嫌いだ。
 そういう人は、物を選ぶ基準や思考のクセに卑屈さがにじんで、一緒
にいると、私の中の陽気さがしぼんでいく。
 その点、私は、私自身を不遜なほど大切にしている。
 と思っていたのは、違っていたのか。
 こんな環境は嫌だと思っても、この子達はそこで寝起きしているんだ
し、と適応を心がけていたら、
「もうこれ以上はもちません」
 体に謀反され、おかげで、良い人ぶって、我が身を危険にさらしてき
た愚かしさに気づかされた。
 けなげな忍耐って、時に有毒だね。