引用の程度

 顔見知り程度だったベンツおじさんと、数年前に再会した時、
「菊さんは、なんで結婚しないんですか」
 年上のくせに丁寧な口調、けど、いきなり個人的なことを聞かれて、
ハァ〜と呆れ返り、
「死んだら考えます」
 みたいなことを答えたら、
「俺に、はよ死ね、言うんかい」
 いきなりドスの利いた声で恫喝(どうかつ)されて、私はきょとん。
 あ、私の言葉をねじ曲げて理解し、自分がそう命じられたと受け止め
たのね。
 日本語は、わかっている主語は省くから誤解が生じやすいとは言え、
ここまで人の言葉を曲解するのが彼の脳の癖であるなら、以後、彼との
会話は注意せねば、と心に刻んだ。
 なんにせよ、恫喝されるいわれはないから、私はしれっと彼を見つめ
るのみ。
 と、今度は、
「世の中には、良い男はいっぱい、おるねんで」
 猫なで声で言われて、私はイラッとし、この世に良い男が五万といた
とて、あんさんだけはその中に入りませんよね、と心の中で毒づく。
 私が苛つかされたのは、さも自分の考えのように彼は言うけど、同じ
ような言葉を誰かが言うのを耳にした記憶が蘇ってきたからだ。
「会社も、大きくなりすぎたら、潰されへん」
 と彼が言った時も、そう。やっぱり、単なる誰かの受け売り。
 そこから深い話に持っていった途端、彼は何も言えなくなった。
 たとえば、スピリチュアルに入れ込んでいる人が、その良さを知って
ほしいと切に願うと、その気持ちは純粋なので、言葉の端々に、
「スピリチュアル的には」
「スピリチュアルの考え方では」
 という言葉が散りばめられる。
 すると、相手は拒絶の壁を高く高く築き始める。
 思ったのと逆の展開になる事態に戸惑い、溜め息・・・という流れは
容易に想像できるが、拒絶する側の気持ちを紐解く意見に出合った。
 曰く、
「引用が鼻につくのだ。胡散臭く感じられるのだ。あなたが崇拝してい
る人がこう言った、ああ言った、なんてどうでもいい。人は、あなたの
言葉を聞いて、あなたの言葉に感心させられたいのだ」
 まさしく、そのとおり、と深く頷かされたあと、あ、でも、私、出産
後の友に粉ミルクとおんぶを勧めた時は、権威のあるホームページをい
っぱい紹介したなあ、と思い返され、不安になった。私の言葉だけでは
説得力がないと判断して、そういう戦法を選んだのだから。
 ただ、じゃあ、自分自身で咀嚼して、自分の言葉だけで勝負すれば相
手の心に響くかと言うと、その手法で、たぶん、私は友を一人失った。
 どうするのが正解なんだろう。
 悩む。