受け身の支配

 自分が決めるべき事を、代わりに誰かに決めてもらおうとする人につ
いて、しつこく考え続けてみる。
 事例は無難に、再度、私が母にお茶を飲むかと聞いたら、
「どっちでもいいけど。あんたが淹れるんやったら・・・」
 と母が答える場面にしておく。
 私は、なぜ、母の答えに苛立つのか。
 人の気持ちなどという測りかねるものを正しく測ってみよ、と命ぜら
れた気がして、ストレスを感じさせられるからであろう。
 そう。責任が負えないことについて責任を負えと迫ってくる無体が不
愉快なのだ。
 ただ、相手は母親なので、どちらでもよいのであれば一つを選べ、と
引かない態度で迫るうちに、
「じゃあ、淹れて」
 とか、
「今はいいわ」
 と答えてくれるようになり、ね、自分の望みをちゃんと口にするって
快適でしょう、と思ったのも束の間、私は私自身の心地好さを母に押し
つけて、これって支配になるんじゃないの、と困惑。
 支配。
 私が極端に嫌うもの。
 どうしても支配・被支配の関係にならざるを得ないとしても、なるべ
くなら限りなく対等近くまで持っていけたら、と日々願っている。
 ある友と、この二年間ほど疎遠だった。
 二年前、彼女からの年賀メールに、
「春になったら、また一緒に出かけたいです」
 みたいな言葉があったので、私は心に決めた。
 じゃあ、そう思っているあなたが私を誘ってね。
 というのは、誘うのはいつも私の方から、というあまりの不均衡に、
もしかして彼女は気が進まなくても私に付き合ってくれているのかも、
と疑念が湧き、一度でいいから彼女の方から誘ってくれたら、私の思い
過ごしだったと胸を撫で下ろせる、と確認することにしたのである。
 案の定、便りなきまま春が過ぎ、季節は流れ、今年の正月にも同じよ
うな文面の年賀メール
 が、その直後から深く話し込むような内容のメールをやり取りするよ
うになり、なんとなく、もういいか、と、ある神社の行事に行くけど一
緒に行きますか、と書いてみた。
 そこから、たまに会う関係が復活。
 自分からは言わない、という受け身の態度も立派に支配の変種になる。
 自分が言い出しっぺにならなければ、拒否される不安や屈辱とは永遠
に無縁で心安らか。ところが、相手からの働きかけにどう応じるかの主
導権はしっかり手にできる。そのどちらもずるい態度であるから、こう
いう支配の仕方のほうが、たちが悪かったりする。
 受け身の人はそう思われる可能性にも気づいておいてほしいと思う、
受け身じゃない私であった。