「どっちでもいい」心理

 私が母に、
「お茶、飲む?」
 と言う時は、私がお茶を淹れようと思っていて、一緒に淹れてあげよ
うかと訊ねる時であり、
「喉、渇かへん」
 という質問とは訳が違う。
「喉、渇かへん」
 は、喉が渇くと答えたら、そう答えた相手にお茶を淹れてもらおうと
いう魂胆の場合もあるから、私だって言葉を濁すかもしれない。
 ところが、友は、
「どっちでもいいけど。あんたが淹れるんやったら・・・」
 という母の答え方が、とてもよくわかるそうな。
 淹れてほしいとストレートに言うのは上品ではないと感じて、こんな
もってまわった言い方をする、と見ているのでもないらしい。
 友自身、
「どっちでもいい」
 と、よく口にするそうな。
「意見、あるでしょ」
 そう迫られてもなお、「本当にどっちでもいいんだもん」が心の声だ
とか。
 食べたい物、デートの行き先・・・相手に考えがあるのなら、自分は
それに乗っかるのでいい。どれでも、どこでも、自分は楽しめるから、
ですと。
 だけどさ・・・。
 じゃあ、相手に合わせておけば波風立たないという計算高さではなく、
嘘偽りなく真実の気持ちの「どっちでもいい」だったとしましょう。
 それほどすべてに意志のない人が、でも、着たい服、食べたい物、行
きたい所、就きたい仕事、会いたい人、会いたくない人など、全部しっ
かり選んで生きているよね。
 あ。
 たとえば冬。駅前の朝市でみかんをひと箱買おうとして、Lサイズか
Mサイズかで決めかねていたら、母が私を、
「そんなんで迷うなんて」
 と軽蔑し、
「Lサイズでいいやん」
 私の代わりに決断した。
 こういうことが多々あるので、「どっちでもいい」は敢えて優柔不断
を選んだ方が得だと判断した時に言うのだ、と思っていたけれど、こう
いう人達から意見が消滅するのは対人関係においてのみってことなのか。
 友が、
「したいことはあるけど、相手を付き合わせてまで買い物したくないし。
それだったら一人の方が気楽」
 と言うので、たぶん、この理解で正解だな。
 私は、星占いでは不動宮に星が多いが、自分一人で決断する場面では、
どの玉ねぎを選ぶか、というつまらないことでも迷い始めたら抜け出せ
なくなるので、母や友の意志のなさは他者と関係性が生じる場面におい
てのみ、とはなかなか見抜けなかった。
 が、そう気づけたあと、この友を展覧会に誘ったら、
「お義母さんに子供を預けようかなあ」
 と曖昧な返答。
 後日、再確認しようかと思ったけど、これは「やめとく」の言い換え
なのよね。
 難しい。