写真を撮ってもらう時

 今日は見事な快晴で、空はどこまでも澄んでいる。
 空を覆い尽くすようなうろこ雲や刷毛雲は、もうない。
 この雲なき青空が冬であったか。
 今月初めに京都の仙洞御所をおとなった。
 紅葉の季節は許可される人数が増えるようで、参観者数は五十名ほど。
 見頃前だが十分美しい。
 途中、一眼レフを持っている恰幅の良い黒縁眼鏡の男性参観者がカッ
プルを記念撮影してあげるところに居合わせ、これ幸いと、そのあと、
私が撮影を頼んだ。
「One more」
 動こうとする私を制してもう一枚撮る時も、彼はなぜか片言の英語。
 先に撮ってあげたカップルが中国語を話していたから、私も外国人だ
と思われたかなあ。完璧に美しいニホン語を喋ってるんだけどな。
 成田空港でリムジンバスに乗る際など、まずは英語で説明される私な
ので、カメラを受け取る時は、彼に合わせて、
「Thank you」
 と言った。
 一人参加のオランダ人男性もいた。彼のスマホで写してあげたら、庭
を出る直前に近づいてきて、もう一回写真を撮ってほしい、と言う。
 喜んで。
 でも、なぜ私に、と聞いたら、私に撮ってもらったのが一番構図が良
かったから、と言われ、その時はピンと来なかったが、スマホで撮る場
合、あとでパソコン上で、カメラの端に写り込んだ不要な人を切る、と
いうような作業をしないとしたら、彼の言う意味はよく理解できた。そ
れに、撮ったままの構図を褒められたのは純粋に嬉しい。
 写真を撮ってくれ、とたまに頼まれる。
 今まで深く考えなかったが、もしかしたら、私がカメラを持っている
からかもしれない。写真への入れ込み具合を、そこから判断されるわけ
だ。
 私も同様で、誰かに撮ってもらいたい、と人を探す時、結構外国人に
なるのは、彼らは若いが、周りのニホン人は若くなかったりするからだ。
スマホしか持っていなくても、若さに期待するのである。
 道を聞く際、無意識に聞く相手を選ぶみたいなことをしているんだな
あ、と新たなる発見。
 ちなみに、前出の片言英語の大柄男性は、ニホン人だと思い込んでい
たけれど、アジアのどこかの国の人だったのかも。だとすると、彼は、
私の流麗なるニホン語を直感で正しく理解してくれたことになる。
 東京在住の友が、連休に引っかけて遊びに来る気だったのは、先月は
長雨、今月は仕事の都合で流れ、まあ私はどこにも逃げないし、と言っ
ていたら、来週出張で来ることが決まったそうで、紅葉には遅いだろう
けど、久しぶりの再会。
 そんなわけで、たぶん、次回は一回抜けます。